ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2016 私と息子の再出発

私と息子の再出発

 

 前月号に息子の強迫行為について少し触れました。強迫行為について説明いたしますと、「強迫行為(きょうはくこうい)とは、不快な存在である強迫観念を打ち消したり、振り払うための行為で、強迫観念同様に不合理なものだが、それをやめると不安や不快感が伴うためになかなか止めることができない。その行動は患者や場合によって異なるが、いくつかに分類が可能で、周囲から見て全く理解不能な行動でも、患者自身には何らかの意味付けが生じている場合が多い。強迫性障害の患者の主要な問題は、患者の三分の一は強迫観念であり、残りの三分の二の患者は強迫行為である。大半の患者は自らの強迫症状が奇異であったり、不条理であるという自覚を持っているため、人知れず思い悩んだり、恥の意識を持っている場合も多い。また、強迫観念の内容によっては罪の意識を感じていることもある。そのため、自分だけの秘密として、家族などの周囲に内緒で強迫行為を行ったり、理不尽な理由をつけてごまかそうとすることがある。逆に自身で処理しきれない不安を払拭するために、家族に強迫行為を手伝わせようとする場合もある。これは「巻き込み」と呼ばれる。また強迫症状を生み出す複数の疾患の基盤にある連続性に注目し、それらを強迫スペクトラム障害 (OCSD) として、その特異な関連の研究が行われている。このスペクトラムには自閉症アスペルガー症候群、チック、トゥレット障害、抜毛症、皮膚むしり症、自傷行為醜形恐怖摂食障害、依存症などが含まれている。」(Wikipedia強迫性障害」より)。息子がこの強迫行為に苦しみ、日常生活に支障が出たのが三月半ばのことです。「あら、なんでこんな儀式的な動きをするんだろ。なにか悪霊にとりつかれたみたいでいやだなあ」と思っていたのもつかの間、あっという間に日常の動きの大半が儀式的な繰り返し行為となってしまい、生活に支障をきたし、その上、私までも巻き込まれ、親子共々につぶれていくように坂道を転がり落ちていくような勢いでした。あれから一ヶ月がたった今、私と息子は手をつないで坂道を登っています。まだまだ平坦な道ではありませんが、二人で息を切らせながら時々は立ち止まり、それでもふたりで歩けることに感謝して一生懸命歩いています。この行為に何年間も苦しむ人もいます。私たち親子が一ヶ月で笑顔に戻れたことはもしかするとすごくラッキーだったのかもしれません。今回は私と息子が過ごしてきた強迫行為発症から今までの一ヶ月の道のりをお話したいと思います。

 おかしいなあ、と息子の儀式的行動を怪訝に思うようになってから一週間、日に日に行為は儀式的といいますか、悪霊にとりつかれたような顔つきで同じ場所で1時間以上も足踏みをしていたり、足踏みがうまくいかないと泣き叫ぶようになり、1時間だったのがいつしか2時間3時間となり、どんどんエスカレートしていきました。本人もこの行為が尋常ではないとわかっているようで、それでも自分を止められないことが苦しくて泣き叫び、「ママ、苦しい」と訴えました。お風呂に入ることを嫌がるようになりました。普段は入浴ということに意識もしたこともなかったのですが、入浴にはたくさんの段階があるのです。まず、脱衣。息子はそこからひっかかるようになりました。シャツの袖を抜いたり入れたりを何十回やっても思うように脱げず、首を抜くのにまた繰り返すこと1時間。ズボンとパンツを脱ぐのも上げたり下げたりを繰り返し、そのうち衣類が擦れることで血がにじみ出てきて、その痛みからまた泣き叫び、二時間がかりで衣類を脱いだら、今度は脱衣所から洗い場に入るだけで入ったり出たりを繰り返し、シャワーをずっと流したまま、やっとのことで体を洗っても、そこは単なる折り返し地点。そこから今度はパジャマを着るまでに同じだけの時間と行為が伴ってくるのです。お風呂に入るだけで3-4時間がかかるのです。そこに私までもどんどん巻き込まれていくのです。朝目が覚めるや否や、強迫行為は始まります。寝室のドアを開けたり閉めたりとバタンバタンと1時間繰り返すのです。こうなると私までも寝室から出してもらえなくなり、ある意味寝室に閉じ込められた状態になるのです。朝の支度もできない。もちろんこの行為がいつ止むのかもわからない。幸か不幸かこうした行為が急降下した頃、子供たちはちょうど春休みとなり、娘はインフルエンザにかかったのでおばあちゃんちに非難させました。この家には息子と私だけとなりました。かかりつけの精神科に電話して助けを求めましたが、数日前に多動の薬の量を増やしたばかりだから様子見だといわれました。素人ですが、どうみてもこの行為が多動からくるものとは思えませんでしたし、この行為に効く薬を処方してほしいと思いましたが聞き入れてもらえませんでした。誰も助けてくれません。いえいえ、「大丈夫?」「無理しないで」という優しさはうれしいのですが、私が求めたものは優しさではなく現実的に私と息子を助けてくれる直接的なことでした。

 この強迫行為の裏側にあるのは不安とストレスです。息子を不安にさせてしまったのは私だったのかもしれません。前月号にも書きましたが息子が日々の予定に混乱してきたことに気づかず適当な返事で交わし、ごまかしてきたのは私です。息子は信じていた私のいうことを信じられなくなり不安となり、学校が年度末だったことから多くの行事にストレスを感じながらもそれを吐き出す場もなければ受け止めてくれる人もなくストレスは肥大してしまったのでしょう。強迫行為の治療法として投薬、精神療法などがあげられます。投薬に関して、今まで受診していた精神科では対応してもらえないので、担当医を変えることにしました。しかし、小児精神科はこみあっており、どんなに急いでもらっても2週間先しか予約は無理でした。では、その2週間をなんとか生きていかないといけません。私の気分はこの狭いアパートに閉じ込められた狂気的な親子そのものでした。息子の泣き叫ぶ声が聞こえ、バタバタと足音が続くと私は耳をふさぎ、声と音が終わるのをひたすら待つばかり。話しかければパニックが起きるから息子に話しかけることもためらうようになり、私自身がおかしくなりそうでした。最後の望みとして、私が息子と取り組もうと思ったのは息子の不安を取り除くことでした。

 最初に始めたのはスケジュール表でした。100円ショップで小さなホワイトボードを2枚買ってきました。ひとつはその日のスケジュール。もうひとつは週間予定。このアイデアは学校の先生から頂きました。学校では一日の予定を提示し、それをみながら行動しているとうかがい、うちでもやってみることにしました。「かおをあらう」「ろーしょん」「きがえ」「ぱんをたべる」「はみがき」などと一つ一つの行動を予定表に書き出しました。そして、もうひとつのホワイトボードには一週間の行き先や過ごす場所を書きました。「げつようび、おうち」「かようび、おうち、ほーぷ(デイケア)」といった感じです。変更するときは事前のみとしました。「やっぱり嫌だからやらない」は受け入れません。最初の日、息子はこの予定に従っていれば間違いないという安心感が見え隠れするようになりながらも、几帳面な性格なため、やらなければいけないと思うのにそれができない悔しさとあせりで泣けてしまい、その現実を受け止めきれず翌日までひきずってしまいました。泣き叫ぶことは続きながらも、息子自身が一生懸命に予定にそった過ごし方をしようとしているのがよくわかりました。この予定表をやりだして1週間目くらいでしょうか、息子の不安が軽減されていることを感じました。息子は頻繁に予定をみていました。この予定表が揺らいで自分を不安にすることはないとわかったのでしょう。強迫行為にかかる時間が減ってきました。

 続いて大事に考えたのは息子と私との関係でした。信じていたママが適当なことを言う、このことで息子が私に不信感を抱き、苦しめてしまったと大反省しています。壊してしまった信頼関係を再構築するしかありません。私は息子と向き合うことを考えました。息子にはもうウソやいい加減なことは言わないと誓いました。プラス、息子はもっともっと私に甘えていたかったのかもしれません。障害があるとはいえ、身辺自立していたため、私は息子を一人歩きさせることに必死になり、十分に甘えさせてなかったのかもしれません。そこが欠落していたら土台なくしておうちは建てられません。私は息子の求める愛を注ぎ込もうと思いました。息子が望むことを考え、それをごほうびにすることにしました。「ゆうちゃん、お風呂入ったら、本を読もう。ゆうちゃんの好きな本をママが読むからね。だからお風呂に入ろう」と。3時間かけて入っていたお風呂が1時間半でできるようになると「すごいなあ、ゆうちゃん。今日は早くお風呂は入れたから本、何冊でも何回でも読んであげるよ」と褒めてごほうびに本を読んであげました。息子は数年前のように私にくっついてくるようになりました。この姿をみていたら、息子が私を求めていたのは3年前からだとわかりました。たしかにその頃から私は息子に「自分でやりなさい」「ひとりでできるでしょう」と言ってきた気がします。そこから欠落しているのなら、私はそこから埋めていきます。「ゆうちゃん、ママんとこおいで」「ゆうちゃん、ママにもみせて」「ゆうちゃん、ママと一緒にジャンプしよ」私は息子の横にずっと寄り添いました。息子から笑顔が見え始めました。悪霊にとりつかれたようにガチガチに固まってしまっていた息子の表情が緩んでくる時間が増えてきました。

 こんなふうに予定表と信頼関係再構築を息子と私との間で続けているうち、別の精神科医との予約の日がきました。長かったです、20日間にわたる苦しい日々でした。アメリカの発達障害の子をもつ知り合いたちは投薬による治療を評価しておりますし、私も投薬は必要に応じて使うべきだと考えています。が、日本にはまだまだ「子供を薬で抑えるなんて」という考えは強くあります。私は投薬によって息子が安定し、人間らしい社会生活を送れるのであれば必要だと思っております。「まだ子供なんだし、後遺症を考えたらちょっと本人にがんばってもらうほうがいい」という人もいます。でも、本人が苦しんでいるのにもっとがんばれとは私は言えません。新しい精神科医は私と同じ考えで、この強迫行為に応じた薬を処方してくださいました。薬が効くまで時間がかかるから2週間くらいは様子を見てください、と言われました。しかし、息子にはこの薬があったようで数日で効果が現われました。強迫行為はずいぶん緩和され、息子に笑顔が戻りました。それでも一日に数回はまだまだ強迫行為に泣き叫ぶことも続きました。私たちはあきらめず、強迫行為が出たときは軽く流すようにそっと見守っています。

 あの一番大変だった頃から一ヶ月がたちました。私たちは息子の泣き叫ぶ声を聞かない日もあります。朝から寝室に閉じ込められることもありません。お風呂も毎日さっさと入っています。私のお布団で寝ていた息子は自分のベッドでひとりで寝ています。ほかの人たちには当たり前の生活でしょう。お天気のいい日曜日、息子と手をつないで散歩しました。こんな幸せな日が再びもどってくるとは1ヶ月前には考える余裕すらありませんでした。強迫行為が治るまですごい時間かかるし、発達障害のある子には完治はしないかもしれないと言われました。でも、いいんです。どんなに時間がかかっても私はユウちゃんと一緒に笑えたら。ゼロからの再出発、こんな人生もいいなと思いました。だって、今まで持っていたことのありがたさを再認識し、そして今、小さなことにも感謝できる心を手に入れたのですから。