ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2016 ひとりのちいさな手

ひとりのちいさな手

 

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 私が一年の中でもっとも好きな時というのが、12月28日から30日です。自分や家族の誕生日というのはそれはそれでいいのですが、年の暮れの数日というのはこれまた特別なのです。なんだか自分の基地にこもっているような感じなのです。一生懸命一年間がんばって過ごしてきて、この最後の3日間は「もういいよ、休みなさい」といわれているような気持ちになります。どうしてそんな気持ちになるのかというと、この三日間はどうあがいても結果はでないからです。結果が出ない、と私の中で結論づいていると無理にがんばりません。怠惰な自分を許せる時です。例えば、就活中であったとしても28日にハローワークに行って仕事探そうとは思いません。「まあ、年が明けたらまたいい求人が出ているかもしれないし」という理由で自分を解き放つことができます。世の人々は一年を締めくくろうとしているわけだから、私もこの時期にあせってなにかを始める必要ないわけです。これはまるで私がニュージャージーで最も愛した雪と同じ理由かもしれません。雪が降ると外は凍てつきどんなにあせっても猛スピードで走り抜けることはできず、みんなに平等にゆっくりとした時間が流れているような気分になれました。つまり、私は常に社会から置いてきぼりされたような生き方をしているのかもしれません。だからか、31日大晦日になると、このゆっくり気分は払拭され、世の人々が新年を迎えようと準備している姿にあせりを感じ、追われるように流されるように年を越してしまうのです。

 昨年の仕事納めはクリスマスの日でした。私の職場は立ち上げたばかりの障害者就労移行事業所なので利用者さん(通所される方)もまだ少ないため、利用者さんが26日以降は用事あるから休みと言われたら私たちスタッフも出社する必要がなくなり、こんな早くから仕事納めとなってしまいました。そうなると、私の愛すべき28日から30日という期間をちょっとだけ早めることができるわけです。クリスマスは子供たちを喜ばせようと私はかなりがんばりました。12月になったと同時にクリスマスツリーに飾り付けをし、それからはクリスマスを迎える準備に取り掛かります。そして本番のクリスマスを無事に終えると、私はフリーの身になるわけです。そこでこの降って沸いたような貴重な時間をつかって、元旦に認可のおりる放課後等デイサービスの事業所の内覧会を見に行ってきました。せっかくのあせらずゆっくりすごせる時期だから、私の興味あることに時間を費やすにはぴったりの機会でした。

 放課後等デイサービスとは、障害のある学齢期児童が学校の授業終了後や学校休業日に通う、療育機能・居場所機能を備えたサービスのこと。「障害児童の学齢保育」とも呼ばれる。主に6歳から18歳の障害のある児童を対象として、放課後や夏休み等長期休業日に生活能力向上のための訓練および社会との交流促進等を継続的に提供する。1か月の利用日数は施設と保護者が相談した上で自治体が決定する。利用に際して療育手帳身体障害者手帳は必須ではないため、学習障害等の児童も利用しやすい利点がある。月額の利用料は原則として1割が自己負担で、残りのうち国が2分の1負担、都道府県と基礎自治体が各4分の1を負担する(所得により上限があり、自治体独自の補助を設けている場合もある)。法改正によって未就学児童は児童発達支援事業、学齢期児童は放課後等デイサービスに分かれ、障害の種類にかかわりなく利用できるようになった。民間事業者の参入も進んでおり、利用者の選択肢が増えている(Wikipedia)。

 うちの息子もこの放課後等デイサービスにはお世話になっており、勉強を教えてもらったり、いろいろな活動に参加でき、社会生活の向上に大変助けられております。子供を預かること自体大変なのに、その子供たちがそれぞれに障害を持っているのですから支援する側は相当しっかりした対応を求められるでしょう。事業所によって勉強をみてくれるところ、作業訓練をしてくれるところ、生活訓練をしてくれるところ、クッキングや買い物などの活動をしてれるところ、内容は様々ですが、親はわが子には何が必要か、何をしたいかを見極めて利用する事業所を決めます。親が希望することと事業所において提供されるカリキュラム含めなにもかもが合致する事業所を見つけることは容易なことではありません。うちの息子は二つの事業所を利用しています。一つは学校が終わった後でお勉強をみてもらったり、作業訓練をしてもらうところ、もうひとつは様々な活動(音楽、工作、料理、ダンスなど)を通して他の子供たちと楽しむところを利用しています。

 今回私が見学に行ってきた事業所は、息子同士を通して知り合い、子供たちがまだ保育園の頃は週末に家族ぐるみで遊んでいた友達が彼女の従姉と一緒に立ち上げました。彼女の事業所にかける想いは強く、いずれは障害者のグループホームや就労支援まで含めた多機能事業所にしたいといいます。グループホームというのは、認知症高齢者や障害者等が、家庭的な環境と地域住民との交流の下、住み慣れた環境で、自立した生活を継続できるように、少人数で共同生活を営む住居。障害者総合支援法においては「共同生活援助」のことをいう(WAM NET ワムネット)。障害のある子供を持つ親は、成人した後の子供の将来を心配します。順番からいって親は子供を残して旅立ちます。そのとき、自分たちがいなくなったあと、子供がどうやって生きていかれるのか、問題が生じた時誰が助けてくれるのだろうか、考えたら切りがありません。私自身もそうです。息子が大人になった時、いつまで私がみていてあげられるのか、私がいなくなったら息子はどこでどうやって生きていくのだろうか。障害のある子供を預ける時、その事業所に自分と同じ立場にあるスタッフがいることは心強いものです。私は息子との生活を安定したものにしたくて福祉の仕事に就いていますが、友達はわが子の将来を想って自分で事業所をたちあげました。形は異なっても、親として思うことは共通します。友達の事業所は、幸いにも彼女たちのおばあちゃんの家を使うことができました。おばあちゃんが一人暮らしをしており、おばあちゃんも日中はデイサービスに出ているため家は留守で、特に二階は普段全く使わない状態だそうで、事業所として二階を使うことになっているそうです。おやつを子供たちと一緒に作り、お勉強したり、子供たちの興味のあることを一緒に取り組んだり、そんな事業所にするそうです。人がひとりでできることには限界があります。でも、組織として動くとそれは大きなことに広がっていきます。私は現在、就労支援事業所の支援員として働いています。支援員としてできることはたいしてことありませんが、支援員みんなでいい事業所を作ろうと努力したら、そこに通所する利用者さんたちへ効果的な訓練、意義深い実習、そして望む就労へとつながる道を提供できるのではないかと思うのです。私はふと、友達が事業所を立ち上げたことで、個から組織へと広がっていく意味を感じました。それは子供の頃歌っていた歌に似ていました。「ひとりの小さな手、なにもできないけど、それでもみんなの手と手とあわせればなにかできる、なにかできる」(一人の小さな手)。

 私は今年、なにをしようと考えました。なにができるんだろう。なにがしたいのかな。私はやはり今年も母親でありたいです。いいママではないかもしれないけど、子供たちにとってはたったひとりのママです。私は子供たちを幸せにしたいです。娘は子供というより女の子というほうがピッタリするようになってきてし、私も娘を一人の女の子として一緒に買い物に出かけたり、ヘアスタイルや洋服の話をします。娘とのこういう時間はとても大切です。できる限り一緒に話したり過ごしたりできる時間を持ちたいと思います。息子は体こそ立派に男らしくなってきたものの、中身はまだ幼い子供です。まだまだ甘えたい気持ちもいっぱい、自分をみていてほしい気持ちもいっぱいです。年齢的に言ってしまうと「もうそんな年じゃないんだから」ですが、息子はまだまだそういう感情が残っており、やはり精神的には幼いです。だから、私は息子のそういった気持ちに応じてあげたいと思います。私はこんなママを目指して今年も奮闘していきたいと思います。そして、こんなママである私が、就労移行支援事業所の一支援員として仕事に就きます。支援員それぞれが違った個性と生き方を持った個体の集まりです。私が机上でつくったカリキュラムを他の支援員みんなで、それぞれの利用者さんにあうように活かし、それが訓練となり、利用者さんたちがその訓練を経ていつか望んだ職業に就いていく。そんなふうに小さな手がいつか一人の人間の将来を支えていかれるような道の一環として携われていかれたらと願います。今年はママとして成長することがまず最初の目標です。私は今もこれからも障害児のママであることを誇りに思います。そして、ママである私はひとりの社会人として職場で利用者のみんなの支えとなれたらうれしいし、そこで培う力で息子の将来を照らすことができたらいいなと願っています。