ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2016 障害者支援

障害者支援

 

 春になり、外吹く風は暖かく、春休み中の子供たちの声が聞こえてきます。子供たちは新しく上がる学年を楽しみに、夏休みのように莫大な宿題もない毎日を満喫していることでしょう。家の中で息子とすごしている私にはうらやましく思えます。みなさんは強迫性障害という障害をご存知ですか?ひとつの行動に対し、執拗に繰り返しやってしまい、自分でもコントロールできない衝動に駆られてしまう精神的な障害です。たとえば、手洗いを執拗に繰り返し、それでもまだ手が汚いと感じてしまい手が荒れるまで洗い続け、洗っていないと不安になり、また繰り返してしまうとか、家を出たら施錠してきたかどうか不安に感じ、どうしようもなく何度も家に帰り確認してもまた不安になってしまうとか、自分でコントロールできない衝動的な行動に出てしまうのです。息子、自閉症10歳にも以前から強迫性行動はたびたび見受けられました。自閉症ADHDの子供はこだわりも強く、こういった行動になることはあると聞いていました。息子の場合、階段を登るときは右足からリズムよく登るのが、うっかり左足から踏み込んでしまったりしたらまた階段下まで戻り登りなおし、登っているときにリズムが思うようにならないとまた階段下まで降りていき登りなおします。その間に癇癪も起こします。ほかにも、ドアを閉める時自分の思うようなカチッという音で閉まらないと癇癪を起こし、何度も何度も開閉を繰り返します。そういった傾向は以前からありましたが、日常生活に支障が出ることもなかったので見過ごしてきました。それが、今年三月に入ってからいきなり、坂道を転がるように息子の強迫性行動は度を増して、あっという間に日常生活を送れなくなるほどまでになりました。それは日に日におちていく息子をみるようで毎日涙を流すしかありません。

 自閉症の息子は言語遅滞もあるため、自分の思いをうまく伝えられません。だから、不安にも陥りやすく、なにかに執着することで自分の安心できる場を持とうとし、結果こだわりにつながり、それが伝えられない苦しみから癇癪を起こすのです。息子の状態に変化が見えたのは二月の終わりごろからでした。毎日学校が終わると放課後デイサービスに通い、それから帰宅というのが息子の生活でした。仕事をしている私にとって、放課後デイサービスで過ごしてきてくれるのは時間的にとても助かりますし、うちでいるより他の子供たちと団体生活を学んできてくれたほうが本人のためにもいいと思っていました。息子もずっと通うことを楽しんでいて「今日はG(事業所)に行ってくるね」「明日はM(事業所)に行くの?」と朝出かける前にうれしそうに確認してきました。私も仕事と家庭の両立を目指し一生懸命でした。シングルファミリーだからと子供たちに寂しい思いをさせたくはないと、時間を惜しまずがんばってきたつもりです。朝5時半に起きてから夜11時半に布団に入るまでゆっくりする間もなく過ごしてきました。長期の休みのときは家族旅行に連れて行きたい、だから普段はがんばらなきゃ、と思っていました。子供たちには寂しい思いさせてきたのかなあ、と今になって思います。4年生になってから息子は手が掛かるようになりました。思春期だからなあ、と周りから言われると「だからこんな大変になったのか」と思いました。それでもなんとか毎日過ごしてきました。それが今年になり、時々「ママ、今日はおうち?ユウはおうちに帰ってくる?」と朝登校前に言うことがありました。私は仕事があるのでいきなりそんなこと言われても息子には放課後デイサービスに行ってもらわなければ困るため、「わかったよ、ユウは帰ってくるね」と適当に聞き流して送り出していました。私は勝手に、息子にはそんなに重大なことでもないと思っていました。3月になり、そういうことを言う日が増えてはいました。プラス、「ママ、学校いや。今日はおうちにいてもいい?」とも言うことがありました。4年生になり学校での行事も3年生から思うと増えてはいました。年度末になると卒業式に出席したり、特別にお出かけがあったり、行事の進行係があったり、いつもと異なることを苦手とする息子には大変だったのかもしれません。だから、学校に行くのもしんどく思っていたのかもしれません。私はそれも気がついてあげられませんでした。「大丈夫、ユウはできるよ」と送り出してしまいました。

 私は母親として大きな部分を見失っていました。形ばかりにこだわり、仕事と家庭の両立という言葉にしがみつき、子供に大きな負担を負わせていたのかもしれません。私は約3年前に正式に離婚しました。それまで別居が長かったので離婚するのもなんとなく自然な流れだったような気もします。日本では離婚後、シングルマザーの生活は酷なケースが多いです。養育費を払わない父親はたくさんいますし、払ったとしても小額でそれで生活は成り立たずシングルマザーは朝から晩まで働きます。私の友達もそうです。だから、私は離婚の際の同意書も元夫に言われるままサインし、養育費も彼の払う額でよしとしてきました。日本での多くのシングルマザーと比べたらまだまだいい方で、それで文句を言うのはわがままだろう、という空気さえ感じていました。それが昨年、あることからこれはアメリカにおいては不当であるとわかりました。それで、私が裁判を起こしました。以来、私は元夫を訴える、そして彼も子供の訪問権で逆に訴訟を起こしてきました。実際裁判所には弁護士が出向いてくれるものの、心理的には大きなストレスを感じます。日本にいる日本人の友達に話せば「そこまでしなくても。傲慢じゃない?子供のことを思うなら穏便にすべき」などと言われるため、話す相手もなくひとりで抱えていました。そんなストレスを抱えていると、些細なことに腹が立つようになりました。子供たちが「ママー、やってえ」と甘えてきても「自分でできるでしょう」「なんでもママに頼まないで」「さっさとしてよ」そんな返事ばかりするようになっていました。時間も余裕もなく、私はストレスのかたまりとなっていました。その空気も息子にはつらかったのかもしれません。ふざけていれば「もう、さっさとしてよ!」と怒るママに甘えることもできず、大きな心理的負担を課してしまったのかもしれません。

 一週間前から息子は変わってきました。なにかと足踏みをして音を立てるようになりました。アパート住まいなので大きな音や声は近所迷惑となります。私の神経はぴりぴり。そうなると私のイライラも度を増し、今度はそれが逆効果となり息子の強迫性行動はエスカレートしていくのです。ちょうど裁判後の話し合いのことでイライラすることもあり、息子の行動の変化に歯止めをかける余裕もなく、異常なまでにうるさい息子の足音に苛立ち、その空気すら息子が受け取ってしまったのかもしれません。日に日に息子の様子は変わっていきました。終業式の当日、息子はとうとう学校に行けなくなりました。朝起きるや否や、ベッドルームのドアの開閉を繰り返しました。早朝から音をたててはアパートの上の階の人の迷惑となります。「やめなさい!」とヒステリックに怒る私に息子は大声で泣き出しました。その大声もまた迷惑なので「静かにしなさい!」と怒れば怒るほど息子のドア開閉の音は大きくなっていき、「いい加減にしなさい!」と私の怒り度合いも急上昇。息子は泣き叫んでリビングルームに行くと、ソファーに寝転がってバタバタと蹴散らすような動きを始めました。朝からこんな行動をされると私も気が滅入ります。「もうやめて!」と怒る私に息子が見せた目はもう今までの息子とは違っていました。苦しみを秘めた悲しい目でした。息子は自分の思う順番でしか朝の我が家の流れを許しません。勝手にカーテンを開ければ癇癪を起こします。そうなると息子の行動によって私の行動も阻止されていきます。「ああ、もうだめだ」私はそう思いました。自閉症の子供の親が抱えるストレスは他の障害児の親に比べるとかなり度合いが高いらしく、親が鬱病になることもあると聞きます。私の脳裏にそんなインフォメーションが過ぎりました。

 息子は今も着替えだけで3時間かかります。服を脱ぐのも、そでを抜いたり入れたりを繰り返し、やっと脱げたと思っても「ああ、だめだ」と言いながらまた服を着てやり直したり、ズボンを上げたり下げたりしてやっと脱げてもまた履いてやり直します。息子が診ていただいている小児精神科に連絡しました。でも、「薬を出したばかりだから様子をみてください。」と言われました。おかしいでしょう、こんなにいきなり日常生活送れなくなるなんて、といくら話しても取り合ってもらえませんでした。息子がお世話になっている相談支援事業所や放課後デイサービスに話しましたが、助けは得られませんでした。「お母さん、がんばって」だけでした。私が欲しいのは応援団でもチアガールでもありません。的確な指示を出してほしかったし、うちに来て息子を囲んで欲しかった。一緒に「どうしたらいいのかなあ」と悩んでほしいわけでもありません。「ごめんね、話聞くことしかできなくて」なんて返事は聞きたくありませんでした。そこまで追い詰められると求める返事以外はどうでもよくなるのです。

 障害児に手をかけてしまう母親がいることはたまに耳にしました。私は一瞬、そういう気持ちがわかる気がしました。どんどん追い詰められていくのです。でも、求める支援がなく、「抱え込まないで」と言われるのに、抱え込むしかない状況が悲しくなり、「この子と一緒に」という考えも過ぎりました。泣き叫びながらひたすら足踏みを続ける息子を見ながら、涙を流し耳をふさぎ、助けて欲しいと心の中で叫びました。

障害者の家族が向かい合う現実は決して優しくはありません。支援とは何ですか?家庭で起きていることだからなかなか介入できないんですよ、そう言われたら支援は受けられないってこと?時間外だから、週末だから、と支援先に連絡とれなかったら、いきなりの変化には対応しませんってことでしょうか?私は今も息子の強迫性行動と向かい合い、仕事も休んでいます。息子の日常生活も支障出ていますが、それだけでなく唯一の働き手の私も仕事に行かれず、家庭生活にも影響が及んでいます。家族も苦しいのです。私はこの4月から精神保健福祉になるための通信教育を受講することにしました。1年10ヶ月のコースを終了後、試験に合格すれば精神保健福祉士として精神を病む人、その家族の相談業務に就くことができます。私は今の苦しみをただの苦しみとせず、将来に活かすつもりです。アメリカにいた頃は求める返事を得られている気がしますが、日本の福祉制度はまだまだで本当に必要な支援が出来上がっていません。障害者支援とは、障害者を囲む家族をも支援しなければ成り立ちません。障害があっても地域で生きていかれる社会、それを言葉だけのきれいごとではなく、本当の支援ができるよう一歩ずつでも取り組んでいこうと思います。