ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2011 夏休み

夏休み

 

 先日、私が卒業した小学校を訪ねる機会がありました。暑い日でした。一年生の子供たちが赤い水泳帽子をかぶり、プールに入っていました。プールは私が子供の頃のままでした。おそらく細かい部分は変わっていたのでしょうが、ぱっとみた瞬間、「あ、小学校のプールだ」となつかしく思いました。私は夏休みといえば、毎日学校のプール開放に通う子供でした。

 子供の頃、私は夏休みは好きでしたが、みんなが騒ぐほどは楽しんではいませんでした。夏休みの莫大な課題との闘いは小学校に入った年から始まりました。夏休みの日誌、自由研究、各教科の課題、日記、工作。。。日本ならではの夏休み風物でしょう。私は夏休みをお盆を境に前期・後期と分けていました。前期が明で後期が暗、そんな感じでした。私が夏休みを楽しめたのはおそらく七月末までだったと思います。飽き性の私でも一週間くらいは日記を書けるし、日誌も自分で決めたペースでこなしていかれます。それが八月に入ると、小心者の私はまだ仕上がっていない課題におびえ始めるのです、「どうしよう、まだ自由研究のテーマを考えてない」と。理科が大の苦手だった私は毎年この自由研究におびえておりました。自由、とは言葉ばかりで、私にはまったく自由を感じない窮屈な課題でした。あと工作も私を悩ませました。クラスの中にはお父さんが作ってくれたようなとっても素敵な工作をつくってくる子もいましたが、残念ながら私には手先が器用な父親はおりませんでした。うっかり父に助けを求めた日には九月に私が痛い目にあうはめになるので、どんなに暑い夏もひとりで汗を流しながら工作を完成させておりました。夏休みは課題だけではありません。プール開放にも出席しないといけませんでした。最低日数が決められており、その日数に満たない人は九月になってから放課後に残され「補習」と呼ばれるプールレッスンを受けなければなりませんでした。気の弱い私はそういうペナルティー的なことは恐怖心をあおるので極力避けておりました。だから、もちろんプール開放にも必死で通いました。いつも日記に「プール開放に行きました」ばかりでは恥ずかしいからと、毎年夏休みには近場の温泉に家族旅行にでかけました。そのときだけは勉強をしなくてもよく、旅館でビールを飲む父の横顔、近くを流れる川での水遊び、お風呂上りに浴衣を着て涼む母、楽しい思い出をたくさん日記に書いたものです。皮肉にも「自由(研究)」や「(プール)開放」という言葉に圧迫感を感じながら、これといった素敵なタイトルもないような近場の家族旅行で自由と開放感を満喫していたのですから、言葉とは不思議なものです。

 日本で社会人だった頃、夏休みというのはお盆休みだけで、それ以上に休んだことはありませんでした。お盆に実家に戻り、お墓参りに行く。それが私の夏休みでした。夏休みというのは、子供だけのものだと思っていました。その思いが覆されたのはニュージャージーで教師になった年の夏でした。大学生だった頃は夏になると日本に一時帰国していたのですが、卒業後、滞在資格の関係で簡単にアメリカ国外に出ることができず、夏休みはニュージャージーで過ごすことになりました。仲間と海に出かけました。みんな、社会人でしたが、「夏は楽しまなきゃ」とばかりに週に三日しか仕事しないとか、二週間休みをとるとか、とにかく夏を楽しむ人たちでした。大人になっても夏休みがあるんだ、と知りました。教師になると、私は誰よりも休みが大好きでした。教師は週末、ホリデーは休みですし、冬になると雪のために休みになることもあります。冬休みも春休みもあります。そして、学年末の日は学区によって異なりますが、たいていは六月後半になります。夏休みは六月後半から九月の初めまでの二ヶ月ちょっとになります。サマースクールを受け持ったり、クラブの顧問でなければ、教師は夏休みに入ります。楽しかったです。まさに自由と開放に満ち溢れた日々でした。でも、考えてみると、小心者の私は「長い夏休みがあるんだ」と思うことだけで幸せいっぱいになり、夏休みのほとんどは夜更かししたり寝坊したりして怠惰な日をすごしていたように思います。人に「夏休みどうしてる?」と聞かれて、「ゴロゴロしてる」と言えば、「リラックスしてるんだね」と言われ、その「リラックス」という言葉に酔いしれたりしました。アメリカでは、サマーキャンプというのは大人も子供もありなので、私の友達もいろいろなキャンプに参加していました。テニスキャンプ、ダンスキャンプ、太極拳キャンプなどなど、本当に様々で、自分の興味のあることを強化するために集中的にやるキャンプというのは素敵な夏の過ごし方のひとつだと思います。私はキャンプには参加したことはなく、もっぱらビーチに行ったり、ゴロゴロとリラックスしたりしてました。でも、そんな夏休みは日本にいたときは味わったことがありませんでした。あの頃が私の「夏好き」のピークだったかもしれません。

 子供が幼稚園の年齢になると、夏休みというのはまた別物になります。わが子はかわいい。でも、どんなにかわいくても朝からずっと一日中一緒にいてそれが毎日となるときつくなってきます。いないと寂しいけれど、あまりにもいると「ちょっと離れていて」と身勝手なことを思ってしまう私の気持ちにお母様方はうなずいてくださいますか。息子がニュージャージーの幼稚園のとき、「サマーキャンプがあります。興味があればお知らせください」というお手紙を受け取りました。ええーっ!息子がキャンプ~!私の子がもうキャンプに参加できるの~!母親(私です)はわが子の成長に感動し、すぐさまキャンプに申し込みました。実際には感動が半分、残りの半分は私の息抜きを確保した喜びでした。息子の幼稚園で行われる幼児キャンプでしたが主催は別の団体で、たまたま息子の担任がインストラクターとして入っていたので、息子は毎日楽しくキャンプに出かけました。息子、初めてのサマーキャンプ、三歳の夏でした。朝八時に家を出て、三時半に帰宅する息子。体全体で水遊びや工作に取り組んでいた息子がたくましく思えました。

 夏休みの過ごし方はその時代、場所によっても様々だと思います。私が子供の頃過ごした夏休みはとりたてて魅力的ではありませんでしたが、今の日本の子供たちはどのように夏休みを過ごすのでしょう。先日おじゃました私の母校では、「昔のようにプール開放は毎日やりません。子供たちはそれぞれに家庭で出かけたり過ごしたりするので、プールを開けてもそんなに来ないんです。水も無駄には使えませんしね」という話を聞きました。アメリカのようにサマーキャンプが一般的とも聞きませんし、子供たちはどんな夏休みを過ごすのか興味があります。私が子供の頃は英語は中学になってから習う教科でした。今は小学校での英語教育導入の影響なのか、幼児のうちから英語にふれる環境を求める人が増えてきました。今の時代ならではのものかな、と思うのが、英語でのサマースクール。幼児から小学生がネイティブスピーカーのインストラクターを中心に英語オンリーで一日を過ごすというプログラムなのです。机上の学びも大事ですが、それだけでなくプールで泳いだり、みんなでランチ食べたり、ひとつのテーマについてみんなで語り合ったり、そんな中で英語を使うというのは、なんだかアメリカ生活の疑似体験のようで楽しそう。楽しみながら英語を学ぶにはいいプログラムだと思います。はじめは、いきなり知らない子達の中に入れられて、わけわからない言葉で話しかけられ、泣いてしまう子も、いつしか「ハロー!」と笑顔で入ってくるようになります。かつて私がすごした言葉だけの「自由」と「開放」とは違う、楽しみながら学ぶ夏というのは子供をひとまわり大きく成長させてくれると思います。そんな夏があるなんて、日本もずいぶん変わったんだな、と自分が浦島太郎のようで、日本にいなかった空白の時間に驚きを感じております。

 子供の頃、夏休みの過ごし方を「ありときりぎりす」の話にたとえられたことがありました。夏休みの過ごし方で二学期の成績が変わる、と。夏休みに遊んだ人は成績は落ち、夏休みに勉強に励んだ人は成績が上がる。私は夏休みを楽しむことが罪悪のように感じました。夏休みって何のためのあるのでしょう。その答えは人それぞれかもしれません。でも、どんな過ごし方も正しいもなければ間違いもないと思うのです。私みたいにゴロゴロの夏もよし、いろんなことに挑戦する夏もよし。ただ、どんななかにあってもそのときを楽しむことが大事なことではないでしょうか。