ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2011 旅

 

 日本に戻って以来、大変不便を感じ、私たち親子を悩ませているものがあります。それはトイレです。私たち親子は和式トイレが使えません。日本でも家庭ではほとんどが洋式トイレだし、たいていの場は洋式だと思っていたところ、いやいや世の中そうそう私たちを甘やかしてはくれません。駅や古い公共な場でのトイレでは和式が多く、どうしてもという場合は障害者用のトイレを探すしかありません。病院でもやはり和式3つに洋式1つというふうであったり、和式トイレは今も存在感があります。私も日本にいた頃は和式を使えていました。でも、使わなくなり長年たつと膝が老化と共に根性なしになったのか、しゃがみ姿勢の途中で体を支えきれなくなり、用を足した後めまいがするくらいに膝がきつくなり、いつしか使えなくなってきました。使えない、というよりも、めまいを起こすので使わないようにしておりました。これはカルチャーショックなのでしょうか。

 

 和式トイレは私は肉体的に苦痛、そしてわが子には未知の世界なのですから、親子共々とりあえず「避ける」のみでした。出かける際はまず、その目的地のトイレ情報を収集しておきます。高速道路のサービスエリアなどはまずは洋式があるはずなので問題ないとして、バスや電車で出かける時は駅に洋式トイレがあるか、あるとしたらそれは駅のどの辺りか、といったことを事前に友達に聞きまくり情報を頭にいれてから出かけるのです。もちろん、最近できたような近代的なビルにはそういった事前調査は必要ありません。そんなことをしてなんとか生き抜いて参りましたが、夏になり、それではクリアできないことが現れました。プールです。うちの子供たちは、特に息子は水遊びが大好き。私の遺伝子です。プールやビーチに行かない夏は夏ではないのです。うちの近辺には幸いにして公営のプールがあり、スーパー銭湯に行く感覚で行かれるのですが、なにせ古い。私が子供の頃に行ったプールなので、かなりの歴史を持っているわけです。こういう場はたいてい和式トイレしかないのです。近くに二ヶ所もあるというのに、どちらも重要文化財的な歴史を持つプールなのです。車でとばせば大きなスライダーのあるアミューズメントパーク調のプールがあるわけですが、毎週行くわけにはいきません。では、夏の週末、なにをして過ごせばいいのでしょう。プールかビーチ以外思い浮かびません。ある日、知り合いの小さな子供を持つ母親に「あそこのプールには和式トイレしかないよね、子供たちはどうしてるの?」と聞いてみました。彼女はサラリと「え、うちの子供たちはプールの中でおしっこしてるんじゃない。一度もトイレに連れて行ったことないし、うちまでおしっこしなくても平気だから。」とお答えになりました。私はのけぞるほどの衝撃を受けました。ええ、プールの水の中にはおしっこが混ざっている。。。私の顔におののきの色がでていたのでしょう、彼女はしっかりと「あ、子供なんてみんなそうじゃないの。ウンチこそしないけど、おしっこはみんなでしょう。」とフォローしたのですか、それがまたも私をおびえさせたのです。うそ、おしっこだらけ。。。あり得ない思いで、実家の母に話すと「あら、海なんてきっと子供だけでなく大人だっておしっこしてるわよ。トイレなんて必要ないかもしれないわね。」というから、驚きを超えて、バスクリンをお風呂に入れるように、プールにおしっこが溶けていくのを想像し、言葉を失いました。私はしない、したことは。。。記憶にある限りはないはず。だから、うちの子供たちにも、「お水の中でおしっこはしない。おしっこの混ざったお水で泳ぐのは気持ち悪いでしょう。お口にはいったらおしっこ飲んじゃうかもしれないでしょう。だから、みんなしないからあなたたちもしないの。」とずっとずっと教えてきました。ええ、これって我が家だけ? みんな、おしっこしてたんですかあ~? でも、いまさら「プールの中でおしっこしてもいいんだって」なんてどう子供たちに言えますでしょう。息子はマイルールというものを作り、それはどんなときも守ることで安心感を得て行動しているのに、そのルールの中にある「みんなが入る水の中でおしっこをしてはいけない」を崩せません。なぜなら彼のルールが間違っているのではないのですから。では、事前に娘にそんなことを公言したら、プールサイドで大きな声で「ママ、おしっこ出そうだからプールに入るね。」なんて言い出しかねません。みなさん暗黙でやっていることなのですから。うちの子供たちには無理ですし、私の信念からいって水の中でわが子が用足しをするなんて考えたくありません。では、どうしたらいいでしょう。市役所に苦情電話して「和式しかないなんておかしいじゃありませんか」と騒いだところで夏中になんとかしてくれるとは思えないし、子供たちにおしっこはうちまで我慢しなさいなんてことはさせられません。考えあぐねました。私たちが訓練するしかない!

 息子はオムツをはずす時に、ウンチをすることも考慮してトイレでは座ってします、と教えました。これが彼のマイルールになりました。実際、保育園にいる限りでは何の問題もありません。余談ですが、日本の子供たちは一体どのように和式トイレを使えるようになるのでしょう。保育園では洋式トイレだし、家庭でもいまや洋式トイレがほとんどだと思いますし、では出かけた時にいきなりやらせるのでしょうか。うちの娘は初めて和式トイレにはいったとき、「ママ、このトイレは怖いねえ、どうやって座ったらいいのかなあ」と反対向きに座り込もうとし、「違う~!」と叫ぶ私におののいて「怖いからこのトイレはいや~」と泣き出し、以来入ろうともしません。娘は今のところ私が抱きかかえてなんとか用足しさせることができるので現時点ではよしとしても、息子はさすがに抱えられません。こうなったら、息子に立ち小便を教えるしかありません。息子はこだわりが健常な子供の何倍も強いので、マイルールとなったものを覆すのは並大抵のことではありません。プラス、感覚的に過敏なこともあり、おそらく彼にとって立っておしっこをするというのは、私たちがトイレに入る度全裸になって用足しをするような受け入れがたい感覚なのでしょう。

 考えました。長い目でみて、立っておしっこができる方が彼にとっては楽なのではないか、と。娘は来年あたり、私と共に練習したらなんとかなるとしても、息子は時間がたてば経つほど、マイルールは固まっていき崩しにくくなります。「ゆうちゃん立ちションプロジェクト」と銘打ち、保育園に協力を求め、夏の始まりから開始しました。まずは保育園で他の男の子たちがおしっこする姿を意識的にみさせ、次に男の子用の便器にいき、立って用足しする真似をさせて十秒数える。それを保育園でしばらくやってもらいました。その上で、ある日、うちで息子がトイレに入った瞬間を狙って、「ゆうちゃん、今日からおしっこは立ってします!」と私は後ろで仁王様のように立ち、息子は「ゲ、やられた~」的な目で座ろうと抵抗するもののあきらめ半分、立っておしっこをしました。大きな海外プロジェクトに成功した商社マンのように私は「イエイ!」と、ゆうちゃん立ちションプロジェクトの成功に興奮しました。これでプールに行ける、毎週末プールに行ける、ってことはちょっと遠出もできるかも、と思いました。トイレ事前調査なしでも出かけられるわけですから。

 私は娘が生まれてから「いつかこの子たちを連れて親子旅をしたい」と願いました。しかし、息子は障害のせいか、連れて出るのも大変な時期があり、走り出したりいきなりこだわりに執着してその場から離れなかったり、かんしゃく起こしたり、小さな娘を抱えてのこの三人での親子旅は当分無理だとあきらめていました。それがここ一年くらい前から息子が落ち着き、おでかけがずいぶん楽になってきていました。「もしかして、旅?」と思ったのがそのとき、私は夢を叶えようと思いました。ええー!私は二人のわが子と旅行ができる~。

 プロジェクトは成功し、保育園の先生と共に歓喜の渦に包まれ、大きな旅支度はできました。では、どこに行きましょう。せっかくなのでちょっと遠出したい、温泉がいい、お山がいい、三人で考えた結果、石川県に行くことに決定しました。アメリカで仲良くしていた親子がそちらで民宿をやっているので、何年かぶりの再会を兼ねて日本列島を横断することにしました。私は日本海側に行くのは初めてのこと、ドキドキワクワクしました。車のナビでみると五時間弱、高速道路と有料道路を走れば行き着くらしい。五時間のドライブならたいしたことないわ、と高をくくっていました。出発の日、いきなり大雨。あり得ない。。。ずっと暑い夏だとぼやいていたのに、なぜこの日になって冷たい雨。。。それも大雨。いずれにしても念願の夢が叶うのです。東名高速道路は慣れた道だし、走りやすく快適でした。それが岐阜県に入り、東海北陸道に入った途端、私のハンドルを握る手に冷や汗がにじみました。私は高所、閉所恐怖症。つまり、橋の上、トンネルの運転はできないので、マンハッタンには一度も自分で運転して行ったことはないのです。それなのに、岐阜県にはいると、道はずっと高いところに続き、その上高速道路なのに片側一車線がほとんど。私は亀のようにノロノロ運転なのでつくりたくもない渋滞をつくり、道幅は狭く、最悪なのははるか下にある谷だか山のふもとだか知りたくもない景色が見え隠れするのです。出てくる看板には「横風注意」とあり、道路脇のフェンスは低く、ここから落ちたら命はないわと絶望感と危機感に襲われながら、やっと高所から抜けられたと思えば今度はトンネル。十一キロに及ぶ一車線のトンネルに入った時にはこのまま地獄に落ちていくような心中するための旅に感じられました。見知らぬところはナビに従うしかありません。やっとの思いで東海北陸道をぬけると、「有料道路にはいります」という指示に従い走っていくと、今度は山肌をへばりつくように続く片側一車線の細い山道がドンドン上に登っていくのです。雨のため見通しは悪く、霧は深まり、標高千二百メートルなんて看板をみたときには「山から下ろして~」と登り道を恨めしく思いました。引き返すこともできず登り続けるしかないのです。後部座席では息子はうれしそうに「滝、柿、」と滝をみながら言葉遊びをしているし、娘は「ママ、雲(霧です)を触りたいから集めてよ」と言い出し、私はひとり泣きたい気分で運転していました。

 やっとの思いでたどり着いた民宿。私たちが通ってきた道のりを話すと、「ええ、その道で来たの。。。」と唖然とされました。最短ではあっても、最恐な道のりでした。でも、久しぶりの友達との再会に私は喜び、子供たちは向こうの子供たちとはしゃぎまわり、おいしい食事をいただき、濃度の濃い温泉にたっぷりつかり、至福のときを過ごしました。息子が他の子供たちと一緒に走り回り楽しそうにはしゃいでいる姿をみて、私は今までの人生で最高の旅ができたのはこの子たちのおかげだと思いました。大変なときがあったからこそ、旅ができることがこんなにうれしい。私たち親子は成長しています。旅の帰り道は、遠回りしながらも楽な高速道路を走りました。頑張るばかりでは旅は楽しくありません。私たち親子はいつもそんなふうに生きています。