ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2017 春の一日

春の一日

 

 年を取るとあっという間に一年が過ぎていく、と言われたことがあります。最近の私は本当に日にちの感覚もなく、時として今が何月であるかすらわからなくなることがあります。物忘れは日常茶飯事、一体今日は何月何日?と本気でわからなくなります。毎日仕事と家庭、子育てを回すのは容易なことではありません。仕事と家庭の両立ということはよく聞きますが、うちは息子が11歳ながら保育園児同等、時としてそれ以上の世話が必要なこともあり、子育ては永遠に続きそうな気がします。それはそれで楽しいことも多々ありますが、とにかく私自身にも限界があり、時間がまったく足りず、いつも走り回っている状態で、なかなかゆっくり子供たちとの時間はとることができません。かつては三人運命共同体はいつも一緒にいました。いつも一緒に手をつないでいました。それが最近は娘が人前で手をつなぐことをいやがり、三人で手をつなぐことはなくなりました。11歳のお兄ちゃんが歩きながら「歩こう、歩こ~」とトトロの歌を歌いだすと、娘は一人、先に走っていってしまいます。恥ずかしいという感情を持ち始めたんだなあ、と年齢相応の行動だと受け止めています。

 日曜日のお昼は子供たちの音楽レッスンがあります。息子はギター、娘はピアノを習っています。今日はちょっと早く教室についたので、時間まで散歩をすることにしました。お天気もよく、寒いながらも春を感じる風がふき、お散歩日和でした。音楽教室は子供たちが通った保育園の近くにあるので、この付近の散歩といえば私たちは保育園を目指します。日曜日だから保育園には誰もいません。「保育園にいた頃、あそこの砂山でよく遊んでいたよね」「まあちゃんはブランコに乗っていたけど、お兄ちゃんはいつも砂で遊んでいたよ。いつもリオナちゃんと一緒にいたよね」「ゆうちゃん、覚えてる?」「うん」そんなことを話しながら、子供たちがかつて保育園からお出かけした川沿いの河津桜を見に行くことにしました。とはいえ、まだ二月ですから、桜は咲いていないでしょう。ただ、なんとなく「河津桜を見に行った道」を歩きたかったのです。

 私は一般的な日本人女性より話し声が大きいらしく、娘は私と息子の会話が始まると決まって数歩離れて歩きます。今日も、「ねえ、桜咲いてるかなあ。昔さあ、まだまあちゃんが赤ちゃんの頃、三人でアメリカのニューアークにある公園に桜見に行ったこと覚えてる?そっか、まあちゃんは赤ちゃんだったから覚えてないよね。ゆうちゃんは?ゆうちゃんは覚えてるかもね」と私が話しかけるや否や、娘は「黙って歩いてくれない?」と言い残し、小走りで先に行きました。川沿いの道を歩くのは久しぶりです。秋に彼岸花を私一人見に来ましたが、子供たちと来るのは一年ぶりかもしれません。桜並木に近づくと、つぼみが丸く膨らんでいるのが見えました。「わあ、もう咲くんだねえ」「桜、咲く?」「うん、もうすぐ咲きそうだね。あ、咲いてるのもあるよ」「あ、桜!」はしゃぐ私と淡々と話す息子、そんな二人を気にしながら少し先を歩く娘。桜はなんだか心をほっとさせてくれるようです。「いいねえ」「きれいだねえ」を繰り返し言いながら歩く私と息子。私たち同様、桜を見に来た人たちが出ていました。写真を撮る老夫婦、おしゃべりしながら川沿いの道を歩くおばさま方、ベビーカーを押しながら歩く若いカップル、人は様々な関係の中で暮らしています。今は息子と歩く私も、高校の同級生と並んで歩いたら元気のいいおばさんたちとなってしまいます。人は人の中で生きていくんだなあとあらためて通り過ぎる人たちを見ておりました。同時に「どうかゆうちゃんがいい人たちといい人生を送ってくれますように」と願いました。

 さて、時間になり、音楽教室に戻りました。息子にはルーティンがあります。ギターのレッスンが終わると続いて行われる娘のピアノレッスンの間に近くのスーパーに行きます。そのスーパーに着いたらまず男性トイレを見に行きます。それから買い物をします。買い物が終わるとまた男性トイレを見に行き、そのあとトイレの近くのエレベーターのボタンを一回押してエレベーターのドアが開くのをみて満足して車に戻り、娘を迎えにいきます。とりたててすごいことではありませんが、息子はこの流れに心地よさを感じるようで、他人に迷惑かけるわけでもないのでここ数ヶ月そうしています。今日も時間になり息子はギターレッスンを始めました。息子が5歳のときからピアノやドラム、ギターを教えてくれてきた先生なので息子も安心してレッスンを受けています。レッスンが終わるとまたいつものようにスーパーに向かいました。今日は下の駐車場が混んでいたので、屋上駐車場に停めることにしました。私と息子は階段を下りて一階の店内に向かいました。「あ、またいる!」私ははっとしました。男性トイレ前の廊下の角にあるベンチに、毎回同じおばあさんがいるのです。最初にあのおばあさんをみたのは半年くらい前のことで、男性トイレのまん前のベンチに座っていました。座ってお菓子やお弁当を食べているのです。ベンチは変わっても、おばあさんは変わらずお菓子やお弁当を食べていました。あるときからあのおばあさんが息子に向けるいじわるな視線を感じました。おそらく「しつけの悪い子」「しつけをしない母」とでも思っていたのでしょう。お店にくると入る前と後に必ずトイレを見に行く変な子、とでも思ったのでしょう。でも、それがおばあさんにどんな迷惑をかけているのでしょう。このところ、おばあさんが向ける息子への視線は異常なまでにいじわるでまるで獲物を目で追う獣のようでもありました。ここ数回は、息子がエレベーターのボタンを押すとベンチから身を乗り出して怒鳴ってきました。「そのボタンを押さない!」と。そして、前回は息子がエレベーターに向かって走るのを見るや否や立ち上がり、「おい、ボク、そのボタン押さない!」と叫び怒鳴ってきました。さすがに私も腹が立ちましたが、基本的に私はどうでもいい相手には感情を出すような無駄なことはしません。あきらかに息子を待ち伏せて、狙っているようにしか思えないのです。さて、今日もまたおばあさんは待ち構えていました。おばあさんは私たちを見るや否や、視線を息子の背に向けました。トイレに走っていく息子を目で追っています。残念ながら男性トイレの中にまでは追いかけれないので、息子がトイレから出てくるのを目で待ち伏せています。トイレから出てきた息子と手をつなぎ、私はおばあさんに一瞥しました。「いい加減子供を待ち伏せるな」と内心思っていました。スーパーで買い物をすませて出てくると、やはりおばあさんは出口を見ていました。息子を見るや否や、目が動きました。私は母親です。ここまでされるとさすがに黙って見逃すわけにはいきません。息子はいつものように男性トイレを見に行きました。私はトイレのすぐ横で息子を待ちました。息子は続いてエレベーターに向かって走りました。すかさずおばあさんは立ち上がり、「おい、ボク!」と叫びました。息子がエレベーターのボタンを押しました。おばあさんは「そのボタンを押さない!」と怒鳴ってきました。私はおばあさんと同じくらいの声と口調で、「上に上がります!」とおばあさんをにらみつけました。おばあさんはいつもは黙って去っていく親子が、今日は仕返しにきたかのようで一瞬にして固まりました。私はおばあさんをにらみつけたまま、息子に「ゆうちゃん、車は上だからエレベーターで行くよ」と言い息子と手をつないでエレベーターに乗り込みました。

 「ああ、腹立つわ、くそばばあ」と思いながら車を走らせていると、ふとあることが頭を過ぎりました。あのおばあさんがしていることはおかしくないか?トイレの前でお菓子やお弁当を食べることは一般的か?いつもあのベンチにいるのはどうして?小学生に目くじら立てて怒鳴ることは普通のこと?。。。私がおばあさんをにらみつけたとき、おばあさんの顔はどこかでみたことのあるものを感じました。

 私が今までいた福祉の職場、そして見学してきた市内および近隣の市の障害者就労施設には様々な種の障害の方が利用者として通所されています。私も体験してきましたが、よく聞く問題として、精神障害の方と知的障害の方が同じ場で作業するとトラブルが起きやすい、ということがあります。障害特性が異なるため、ぶつかってしまうのでしょう。私もかつての職場でそういう問題を抱えていました。精神疾患のある方が知的障害のある方の行動が気になって仕方なく、すぐに言葉や行動で攻撃してしまうことがありました。一度私もたまりかねて精神疾患を方が暴言を吐いた瞬間にきつく注意したことがありました。そのとき、彼は一瞬にして固まりました。そして、「あいつが勝手なことするからイラつくんだよ。なんで俺だけ怒られるんだよ」と泣き崩れました。

 あのおばあさん、もしかすると精神疾患があったのかもしれない。あのとき、私がにらみつけ、固まったおばあさんの表情は、かつて私がきつく注意したときの精神疾患の利用者にも似ていた気がします。あの場にいた私は母親でしかなかったのです。かわいいわが子が意地悪なおばあさんに狙われている、その思いで息子の前に立ちふさがる母親でした。でも、あのおばあさんがもしかしてなんらかの問題や苦しみを抱えている人であったら、私は福祉の支援員という立場であったら、言われたからといって同じように言い返しにらみつけたことは決して正しい対応ではなかったはずです。私は息子が大事です。感情が先走ってしまいましたが、息子を愛する気持ちを持ちながら、あのおばあさんの「普通ではない」点を考慮して話すこともできたはずです。

 春の一日のことでした。母親としてわが子のことはいつまでも大事に思うし、過去すらも大事に思えるものです。しかし、私は福祉の人になって数年がたっています。それなのに、まだまだ冷静に社会の中においての対応ができていないことを痛切しました。もう少し冷静におばあさんに言うことができていたら。。。それができたら私はもう少しだけ成長できるのかもしれません。