ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2015 あらためて思うこと

あらためて思うこと

 

 先日、息子と一緒に大阪に行ってきました。息子のアメリカのパスポートが期限切れとなり、更新のため大阪にあるアメリ総領事館に行ってきたのです。特に旅行の予定があるわけではないので夏休みや冬休みにそういった手続きをしたらいいのかもしれませんが、息子は多動があり自閉症です。人がいっぱいで待ち時間が長いと何が起きるか想定できません。何事も起きないかもしれませんが、万が一事が起きたら10歳の息子は3-4歳児のように愚図り騒ぐのですから体が大きい分どうしようもできなくなります。そういった事態を極力さけるため、平日で、例えば学校の行事の振り替え休日みたいな日を選んだのです。息子は移動支援という障害のある子供や人がヘルパーさんと公共交通機関を使って外出し、社会でのマナーであったり、交通機関の使い方を学んだりするサービスを受けています。月に一回、ヘルパーさんと二人で電車やバスを乗り継いで動物園や水族館、科学館や時には秋祭りにも出かけています。私は普段車での移動ばかりで、家族旅行も車を使うため、息子と一緒に公共交通機関を利用することは滅多にありません。なので、大阪のアメリ総領事館までローカル電車、新幹線、地下鉄を乗り継いでいくのは未知の世界であり、私にとっては冒険です。体も声も大きくなった息子が車内で騒ぎ出したらどうしよう、と不安はありながらも、移動支援では「扱いやすいいい子」と定評の息子を信じていくことにしました。

 その日は連休明けで、息子の学校の代替休日。予約時間は午前11時半。逆算するとうちを朝8時少し前には出ることになります。でも、うちは通学路に面しているため、7時半から8時前までは小学生が歩いていて、駐車場から車を出すことができません。そうなると通学時間前にはうちを出なければなりません。通勤ラッシュアワーの電車に突入です。この時間帯は子供だろうが容赦なく押されます。息子になにかあってはいけないと手をつないでいたはずが、気がつくと息子が私の手をぎゅっと握りひっぱっていました。私は慣れない電車に戸惑い、自動改札口でチケットを通せず、どれも息子が教えてくれました。一緒に並んで通ろうね、と隣同士の自動改札の機械にチケットを入れるものの、飛び出してきたチケットを両方とも取ってくれたのは息子。行き先とホームの番号は私が確認するも、電車に乗り込むときは息子が手をひいてくれました。朝の通勤電車は不快なものです。座席には寝ている人、寝たふりをしている人、息子の背の高さではドア付近の棒をつかんでいるしか支えとなるものはありません。多くの人はスマートフォンに夢中。通学する高校生、大学生もいました。最も不愉快だったのは、女子高校生の数人のかたまりです。途中の駅から乗り込んできた人の中に日焼けローションみたいなにおいのする人がいました。よく海水浴場でにおう、ココナツを思い出すようなあのにおいです。たしかに匂うなあ、とは思いました。10歳の息子は棒につかまり、じっと窓の外の景色をみながら電車に揺られています。女子高生たちが「くっせ」「誰だよ、このにおい」「今の駅からいきなりだよ」「キモっ」とおそらくにおいの元だろうと思われる人をにらみながら言い続けるのです。話題が別に移ってもまた「しっかし、まだくせっ」と戻っていくのです。みんなで相手の人をみながら、笑うのです。その笑いは決して楽しげな明るいものではなく、他人を下に見たようないやな笑いでした。彼女たちは一人になったとき、たとえば、一人で留学した時、こんな態度で他人と接するのでしょうか。おそらく、一人縮こまりおとなしい日本人の女の子でしかないのでしょう。仲間といることで安心感があり、そしてこういう行儀の悪い会話をするのかもしれません。うちの子供たちもいずれはこんな若者になっていくのだろうか。いやだいやだ、うちの子供たちはこんな弱い人間になって欲しくない。多人数で嫌がらせをするのは弱虫のすることです。反面教師を目の当たりにした気がしました。

 息子と初の新幹線乗車。やはり、ローカル電車と比べると高級感があります。名古屋駅で新幹線を見て興奮したのは息子ではなく私。「ゆうちゃん、みてみて、新幹線じゃん。」うるさく騒ぐ私の腕をしっかりとつかみ、うれしそうにニコニコと新幹線を見ている息子。「ねえ、ゆうちゃん、今から新幹線に乗るよぉ。すごいねえ、新幹線」と興奮していると、「ママ、走らないね」と一言。いやいや、これはかつて私が息子に言っていた言葉。多動で走り回ってしまう息子に「ゆうちゃん、危ないから走らないよ。」と。さすが毎月電車に乗車していると駅という場に慣れているのかなあ。逆に駅に慣れていない私は新幹線みては興奮してしまうのかなあ。前回パスポートを更新したときは息子は5歳。その頃はまだ名古屋のアメリカ領事部で毎月1回更新を受け付けてくれていました。5歳の息子はまだまだ大変で、まずは建物の中に入れず、セキュリティーを通り抜けるときに泣き叫び、その場にいたおばあさんに「うるさい子だねえ。聞こえやしない。しつけがなってない」と言われたくらいでした。名古屋までが限界でした。それが、今は名古屋までは移動支援で毎月遊びに来ているからか、私より落ち着いていました。新幹線車内では息子はやはり窓の外の景色をうれしそうに見ていました。時々「ママ、観覧車がみえる」と遠くに見える景色について話してくれるくらいで、ただただおとなしく座っていてくれました。

 多動の息子ですので途中何が起きるかわからないため時間に余裕をもって予定を組んだ上、うちの前の通学路の事情からもっと早めに家を出てきたので、総領事館の最寄地下鉄駅に着いた時、予約時間までまだ2時間弱ありました。さてさて、どうやって時間つぶそう。これはこれでまた大変なのです。コーヒーショップに入ってコーヒーとジュースで時間をつぶせることは考えにくいです。まず、日本の喫茶店、コーヒーショップでアップルジュースをおいている確立は決して高くありません。オレンジジュースはまあまあおいてあります。カルピス、コーラはあります。でも、アップルジュースはどこのお店にもあるものではありません。息子はお水かアップルジュースしか飲みません。もしもアップルジュースがあったとしても、おそらく彼はジュースを飲み干すと立ち上がるでしょう。息子にはお店で座って時間をつぶすという観念はないのです。レストランでは食事をする、喫茶店では何かを飲む、その用事が済んだらもうそこにはいたくないのです。さてさて、今からどうしよう。幸い、お天気もよく暑くも寒くもなく、絶好のお散歩日和です。川沿いの道をゆっくり歩きました。息子は水の流れを見るのが好きです。それは私が雲の流れをみているのが好きなのと同じかもしれません。息子はフェンスにもたれながら、これといってなにもない緑色の川をじっと見ていました。その横で私は空を見上げ、「ああ、もう秋なんだなあ」と感じていました。みんなが学校や仕事の時間、私たちだけがこんなに穏やかな空気に包まれていることが、ちょっとだけ現実からずる休みしたような幸せな気持ちになりました。

 総領事館ではエレベーターに面したちょっと狭い待合室の中で、息子が走り回ってしまうこともありました。幸いにも待合室にいたのはいい人ばかりで、「ごめんなさい、この子は自閉症なのでじっとしていられなくて。」と謝ると、「いいよ、気にしなくて。調子はどうなの?」と言ってくれたり、「この子、オバマ大統領によく似てるわね。そっくりな顔してるじゃない。そう言われない?大物になるわね」「この子、電気とかコンピューター関係に向いているんじゃないかしら。なんかそういう感じするんだけど」「大事に育ててあげて」「大変だと思うけど、しっかり育てれば大丈夫よ」あたたかな言葉に励まされました。領事から名前が呼ばれたときも「彼の名前と年齢を確認できればいいんだ。そしたら、あとはこのフロアにいる限り大丈夫だよ」と言ってくださり、息子が名前と年齢をいうと、「エレベーターに乗らないんだよ。あとはお母さんにうかがいます」と走る息子に声をかけてくれました。いつも走り回る息子に肩身狭く、周りからジロジロにらまれることが続いていたので、狭い空間の中で動き回る息子をこんなにあたたかく他人に受け入れてもらえたことが本当にうれしく思いました。帰りがけ、エレベーター待ちしていると、一人の女性が「ねえ、ボク、エレベーターに乗ったらママをちゃんと下まで連れて行くのよ。あなたも大変でしょうけど、この子いい子ね、しっかり育てているわね」と言ってくれました。パスポート更新にきてよかった。アメリ総領事館に来てよかった。この人たちにあえてよかった。自分の置かれている環境すべてに感謝できたありがたい瞬間でした。「Thank you!」心からそう思えました。

 新大阪の駅でクリスピークリームのドーナツを買い、息子は「まあちゃんに買う」と妹へのお土産を買い、また新幹線に乗り込みました。帰りの車内も息子はニコニコと景色をみていました。時々うれしそうに「ママ、あそこ、川があるよ」などと目に映るものについて話してくれました。ドーナツをひとつほお張りながら息子の後頭部をみつめました。5年前、名古屋駅近くのアメリカ領事部に来るのもままならぬほど騒ぎ立てた息子でしたが、5年でこんなにたくましくなっていたんだなあとあらためて思いました。彼にとって5年というのは大きな成長だったのでしょう。私はどうだったのかなと考えるとよくも悪くも日本に染められてきたように思えます。「みんなと同じ」という文化を毛嫌いし、反発していた5年前。息子を守るため教育委員会へも掛け合いにいった5年前。あれから5年。私は社会に流され、あきらめることも覚え、波風立てぬ生き方を身に着けました。納得いく5年だったのかなあ。夏にアメリカに里帰りして以来、ずっと考えています。私はこのまま日本社会に流されていてもいいのかな。人生を終えるとき納得した人生だったと思える生き方できるのかな。5歳の男の子が10歳の少年に、10歳の少年は15歳の青年になっていく5年間。息子のパスポートを次回更新するとき、私はきっと今と変わらぬ生活を送っているのだろうけど、できる限り社会に流されず自分の意思をしっかりと持ち、時々は自分に疑問を投げかけられるようでありたいと思います。そして、総領事館で出会った人たちのように他人の心を安らげるような人間になりたい、大事な人を守るため社会に立ち向かっていく強さをもった私を取り戻したいとあらためて思いました。