ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2014 手紙

手紙

 

 みなさんは「やぎさんゆうびん」という歌をご存知でしょうか。「しろやぎさんからお手紙ついた、くろやぎさんたら読まずに食べた、しかたがないのでお手紙書いた、さっきの手紙のご用事なあに。」おそらくほとんどの方が一度は耳にした事のあることと思います。手紙がしろやぎさんとくろやぎさん間を行ったり来たりの終わりなきようなこの歌、かつて私たち親子は毎晩寝る前に3人で声そろえて歌っていました。娘はまだ二歳、「おてがみ」を「おてまぎ」と発音しながら、大きな声で歌っていました。その娘、最近は友達との手紙交換が楽しいらしく、毎日帰宅すると友達に宛てた手紙を書いています。親の私の最近はメールやLineなどの通信アプリで一瞬にして送信できるせいか、手紙というものを書く習慣がなくなってきました。季節のお便りも書かなくなりました。「書く」ではなく「打つ」ことで文字を表出することが多くなりました。思い起こせば私も子供の頃は娘のように手紙を書いては友達に渡していました。なつかしい思い出です。

 

ラブレター

 高校生の頃、授業中お手紙まわしをよくやりました。お手紙まわしとは、紙切れに手紙を書いて授業中回すのです。書いた内容はどうでもいいことなのですが、授業中先生の目を盗んで相手に届くまでの道のりがスリルで快感でした。隣の子にそっと「これ、xx君にまわして」と渡すと、そこからクラスメイトの間をまわって、目的のxx君に届くまで授業には集中できません。そういった手紙がクラスのいたるところで回っているのです。高校二年生のとき、私たちはグループで行動していました。学校帰りにどこに寄っていこうか、お昼時間はどこで集まろうか、とか放課に話せばすむことを手紙に書いてまわすのです。そんな中で私と当時のボーイフレンドの付き合いは始まりました。二人の間の手紙交換は別物で、クラスの中をまわすような危険なことはしませんでした。ラブレターを書くときは舞い上がっていて、頭の中にハートマークが飛び交い、文字までかわいくなるのです。「こんなかわいい字を書いたら好かれるかなあ」「黒いボールペンではかわいげがないから、ブルーかグリーンがいいかな」「かわいい便箋に書こう。なんのキャラクターがいいかなあ」なんて文字に人格でもあるかのようにかわいらしくしあげようとがんばっていました。今、高校生はそんなラブレターを書くのでしょうか? メールやLineでかわいいスタンプやデコレーションでかわいらしさを出すものの、やはり書くのではなく打つのでしょう。丸文字が流行ったのもあの頃です。

 

5年後の私へ 

 高校を卒業したとき、私は5年後の自分にあてた手紙を書きました。18歳の私から23歳の私へ、です。高校を卒業し、自分では一人前になったつもりで、二十歳という大きな年齢を超えた後の自分がどうしているかという夢であったり、その夢が達成されているという前提で今の自分のことを語っていたり、あとになって読むとひたすら恥ずかしい内容であったと思います。そういう手紙をそれから毎年書き続け、23歳になり初めて封を開けました。5年前に書いたことですから内容は大雑把には覚えていたので大きな感動もなかったというのが現実です。文字も5年くらいではそんなになつかしく思えるほど変わってもいません。なので、つまらなくなり、23歳以降は手紙を書かなくなりました。「なんだ、こんなことか」と、描いていた感動もなく、5年間続けていた「5年後の私へ」という手紙の封を切ることもなく、1通を開けただけで残りは閉まったまま、忘れていました。先日、実家で私の置きっぱなしの荷物を片付けてきました。押入れいっぱいに私のものがつまっていました。18年前アメリカに渡米する際にこうして押入れにしまい、そのまま手付かずの状態になっていました。母も処分に困り、押し入れを空けて欲しいと言われ、18年ぶりにたくさんの小箱をひとつずつ開けてみました。その中に小さなお菓子の空き缶がありました。空き缶、覚えています、ここに手紙をしまっていたのです。懐かしさでいっぱいになり、あけてみるとしっかり「5年後の私へ」が入っていました。なつかしい私の若かりし頃の文字です。30年もたってから読むと本当に感動します。まだ子供のような丸文字で、自分の5年後を想像した文面が広がります。「もう子供もいるのでしょうね。だんなさんは誰かなあ。ライターとして一人前になっているのかな。」そんなことがたくさん書かれていました。書いておけば残るのです。そして、何年かした後、読み返すとその時の自分がよみがえります。なつかしいにおいがしました。

 

母からの手紙

 私が一番苦手なのは母からの手紙です。私は18歳で家を出て、脚本家の助手になりました。実家から遠くに住んでいました。母から見たらまだ子供の私でしょうが、私は自分が一人前の社会人だと思っていたので子ども扱いされることがいやでした。時々実家に戻ると、母は帰り際に決まって私に封筒を渡しました。封筒には手紙とお小遣いが入っていました。私は自分で稼いでいたので母からお小遣いをもらうことが嫌でした。それは自分を一人前として認められていないように感じていたからです。手紙には優しい母の言葉が連なっていました。脚本家の助手とは聞こえはいいものの決して煌びやかな世界ではなく、地味でつらいことがたくさんありました。だから、余計に母の手紙を読むのがつらく感じました。優しさに甘えて、逃げ出したいと思ってみたり、ぽかぽかの春の陽だまりにつつまれるような実家に帰りたい、とさえ思ってしまうのでした。涙がぽろぽろこぼれました。一生懸命自分に強がって生きているのに、泣いてしまったらもう立ち上がれなくなりそうで、手紙を読むのが逆につらくもありました。ある日、母に言いました。「私はもうお金は要らない。だからお小遣いを入れてくれるのは迷惑だよ。手紙もいらない。言いたいことあるなら手紙ではなく言ってくれたらいい。」母はさみしそうな顔をして、「わかったよ。お小遣いはもうやめるよ。でも、手紙はおかあさんの気持ちだから書かせてよ」というので、手紙だけは受け取るようにしました。でも、読むたびに現実の辛さ苦しさから逃げたくなる自分が情けなく、母からの手紙が本当に苦手となりました。

 家庭を持ち、子供が生まれ、私が母親になりました。同時に母は年をとっていきます。母からの手紙は今も続いています。でも、形は変わりました。どういうわけか母は私に直接大事なことを話したがりません。いつも置手紙をしていきます。私はこの置手紙が大の苦手なのです。朝、母がうちにきて話していても何も大事なことを言わず、仕事からもどるとうちのダイニングテーブルに置手紙がしてあるのです。「お父さんが今、具合が悪く、昨日検査を受けました。初期の胃癌でした。」そういう置手紙なのです。読むたびに「だったら言ってよ」と怒りすら感じるのです。例えば「墓地の予約を入れたのですが予約金を支払い、今月ピンチになりました。1万円貸してください。15日には返します。」といった場合もあります。時々は「お父さんにはずいぶん我慢してきましたが、いい加減にしてほしいです。」と夫婦喧嘩のことを書き残していく時もあります。夫婦喧嘩のことなどは書くことでストレス発散させているんだろうなとは思うのですが、大事なことを置手紙されると本当に気持ちが下がります。私がもう少し大きな心で母の気持ちを汲んで上げられたら置手紙も受け止めて上げられるのでしょうが、私はまだまだ余裕もなく自分のことで必死なせいか、帰宅してテーブルに置手紙があるとそれだけでイラっとしてしまうのです。私の心を乱されたくないのです。乱された心を正常にするのは私だけの苦しみとなります。私の心を乱す母からの置手紙はやはり苦手です。

 

娘からの手紙 

 母からの手紙は苦手ですが、娘から手紙をもらうとうれしいものです。娘は手紙を書くのが好きらしく、なにかあるとすぐに手紙を書いてくれます。夏休みなどの長期休暇は私が仕事のため娘は学童保育で一日過ごします。毎日私がつくるお弁当を持っていきます。そうすると「お弁当ありがとう。毎日つくってくれてありがとう。おいしいよ。これからもつくってね」といったお手紙を書いて冷蔵庫に貼っておいてくれます。娘の手紙には励まされます。私に怒られた後でも、「ママ、さっきはごめんなさい。ママが怒るまで言うこときかなくてごめんね。これから気をつけます」と書かれた手紙を手渡してくれます。そういうときはうれしくて娘を抱きしめます。バッグの中にそっと手紙を入れておいてくれることもあります。「ママのことが大好きだよ」というかわいらしいラブレターであったり、なぞなぞが何問か書かれた不思議手紙の場合もあります。それらを職場でみつけると、ほっと顔がほころびます。

 最近、娘は私だけでなく、お友達へも手紙を書いています。娘も手紙をもらってきます。「Yちゃんとお手紙交換しているの。」といいながらうれしそうに手紙を書いている娘。かつて手紙を「おてまぎ」と大声で歌っていたあの小さな女の子が、きれいな字で手紙を書くようになったんだなあ、と思うとしみじみします。手紙にはいったいどんなことを書いているんだろう、と親としては興味津々です。といって人の手紙を盗み読みするわけにはいきません。真っ向から訊いてみるほうがいいだろうから、思い切って訊いてみました。「なに書いてあるの?」と娘にきくと、娘はにやりと笑い、「ママには内緒」と言いました。それでも知りたいので、「ヒントは?」ときくと、「知りたいの?別にたいしたこと書いてないよ。妖怪ウォッチのこと書いているの。ママもなにかYちゃんに話したいことあれば書いておいてあげるけど、妖怪ウォッチのこと以外はだめだよ」と言われました。子供らしい手紙です。妖怪ウォッチのステッカーをベタベタと貼りながらうれしそうに手紙を書いている娘。「明日、楽しみ。だって、Yちゃんが手紙くれるって言っていたから。私もYちゃんに書いたから、Yちゃんも楽しみにしてくれているかなあ」とうれしそうに手紙をランドセルにしまっていました。

 

 いつの頃からか、私は手紙を書くことから遠ざかっていました。連絡はメールかLineで手っ取り早くすませます。そのほうが効率的ではあります。ただ、人として感情をこめたことを相手に伝えるのにメールというのはあまりに素っ気なく寂しく感じます。お付き合いしている相手に別れを告げる時、メールというのはそれまで二人で築いてきた関係が一瞬にして薄れるようで寂しいです。高校のときのボーイフレンドが最後にくれた別れの手紙がまだありました。「僕はじゅんちゃんのことが本当に好きでした。でも、僕とじゅんちゃんはすこしずつ違う方をみるようになってきたよね。ずっと友達でいようね。でも、付き合うのは終わりにしようか。」この文面をメールで受け取ったら泣けますか? 私はこの手紙を握りしめ涙を流した思い出が今も心に残っています。手紙って味がありますね。久しぶりに誰かに手紙を書いてみようかな。