ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2015 暑くて温かな夏

暑くて温かな夏

 

 

 毎年夏になると「今年の夏は特に暑い」「観測史上最も暑い夏」「異常気象」などといわれており、今年もやはりそんなことを耳にしております。でも、今年は猛暑と呼ばれる日が一週間近く続いたり、やはり今までで一番暑いようにも思えます。気温の高さもすごいのですが、湿度も高く、熱中症で倒れる人も続出しております。

 私たち親子にとって今年の夏は今までとはちょっと違います。もしもこの夏にタイトルをつけるとしたら「暑くて温かな夏」となるでしょう。私は1997年8月10日に留学のために渡米しました。もうずいぶん前のことなのに、なんだかあの日のことが今でも鮮明に思い出されます。夜、JFK空港に到着しました。ずっと仲良くしていた友達のジョエルが空港に来てくれていました。ジョエルのお宅にしばらくはホームステイさせてもらうことになっていました。その10ヵ月前にもジョエルのところに遊びにきていたので、初めてではなかったのですが、旅行者ではなく居住者になるんだなと思うととても緊張していました。英語がまだまだへたくそで、話せば日本語なまりが強く、人の話の半分くらいしか聞き取れないし、おかしな日本語文法の英文を書くし、そんな私でしたがジョエルは一生懸命理解してくれ、学生ビザの保証人にもなってくれたり、大学入学手続きも協力してくれて、彼のおかげで大学に入学できました。入学後もなかなか思うように授業についていかれなかったり、悔しくて泣けてしまったり、一晩かかっても課題の半分もできなかったり、いつもそばで見守ってくれていたジョエルには本当にお世話になりました。しばらくホームステイさせてもらうはずでしたが、結局2004年3月に結婚するまでの6年半、私はジョエルのお宅に住ませてもらっていました。私だけでなく、愛犬MOMOまで一緒に居候していました。ジョエルは私の結婚式で父親代わりに手をひいてくれました。ジョエルと一緒に日本で英語の問題集を出版したこともあります。ジョエルは息子が生まれた時に一番最初にブルーのおくるみを持って駆けつけてくれました。私が結婚生活や義理家族のことで悩んでいるとうちに来て一緒にご飯を食べてくれました。ジョエルはたくさん食べる人でした。近所にとってもピザのおいしいイタリアンレストランがありました。よく二人でラージサイズのピザを平らげていました。5年半前、私たち親子が日本に引き上げてくる時、JFK空港まで送ってくれたのもジョエルでした。あそこにいけばジョエルがいるとずっとずっと思っていました。だから、いつだってニュージャージーには帰る場所があると思っていました。

 六月の終わりごろ、ジョエルがステージ4の膵臓癌(すい臓ガン)だと知りました。膵臓がんについていい話は聞きません。私はステージ3の大腸癌を患いましたが、癌のできた部位によってこうも生存率が異なるのかと思えるほど膵臓癌は深刻なものです。残念ながらもう手術はできません。癌細胞は大事な血管にくるまれている状態で、手術で取り除くことは難しいそうです。抗がん剤をドクターからは勧められたそうですが、それは完治するためのものではなく、あと数ヶ月の延命の可能性に期待をかけるためで、抗がん剤の副作用と戦いながらその数ヶ月苦しむことはジョエルの望むことではないそうです。事態は私が思うより深刻なようで、「またいつかジョエルに会いに行こう」ではすまないかもしれません。ジョエルの奥さんのリサに状態をうかがい、率直な意見を聞きました。リサは「できるのであれば、彼に会いに来れるかしら。彼は今は動けるし、しっかりしているけれど、実際先のことはわからないの」と言いました。もう「いつかまた」ではいけない時がきてしまったのかもしれない。悩みました。ジョエルに会いに行きたい。でも、うちは私がすべてをまわしています。じいちゃんばあちゃんは同居してるわけではないので毎日子供をみるのはとても難しいです。プラス、息子はいくら自立してきたとはいえ、まだまだひとりでなにもかもできるわけではありません。私がいなくなったら子供たちはどうなってしまうんだろう。娘に相談しました。「ママがアメリカにいたとき、一番に助けてくれたお友達なの。だから、すごく会いに行きたい。でも、ママがいなかったらゆうちゃんもまあちゃんも困ってしまうし。どうしたらいいかなあ、と考えているの。」というと、娘は「ママ、行っておいで。まあちゃんはもうひとりで自分のことできるでしょう。お手伝いもちょっとできるよ。お兄ちゃんのことはまあちゃんがみていてあげるよ。けんかはするとは思うけど、まあちゃんがみてるから、ママは行ってきていいよ。おみやげはたくさん買ってきてね。」と言ってくれました。日本に戻ってきたときはまだ3歳だった娘がこんなにたくましくなっていました。孫がこんながんばって母親を出してくれようとしている姿に私の母も「行っといで」と言ってくれました。

 飛行機のチケットを購入し、ニュージャージーの友達に連絡しました。アメリカを出国する前は私は癌治療で、手術や抗がん剤であまり人と会っていません。友達とは一体何年ぶりに会うのだろう。そう思うとドキドキしました。私がよく訪れていた場所をめぐったり、友達に会ったり、お気に入りだったモールで買い物したり、といろいろやりたいことを思うと限りないのですが、今回は私にニュージャージー生活の基盤を作ってくれたジョエルと少しでも多くの時間を過ごしたいと願います。

 訪問するのと同時に、私はできる限りの力で彼の治療に協力していきたいと思いました。抗がん剤を受けない彼は、別の治療を受けることになりました。彼は治療だけでなく、食生活も変えました。オーガニック野菜を中心とした食生活に切り替え、体の中から変えていこうとがんばっています。ラージサイズのピザを食べた頃がなつかしい。でも、なつかしがっていても時間は確実に流れています。では、私はジョエルに今、なにができるのか。悩みました。すると、ジョエルの友達がフェイスブックでみんなの協力を呼びかけていることを知りました。抗がん剤治療なら治療費は保険の対象になります。でも、彼が受けようとしている治療は保険の対象外です。治療費は莫大です。私が協力できる金額は微々たるものです。でも、彼の友達の呼びかけで募金をはじめ、あっという間に治療費数回分が集まりました。ジョエルの人柄でしょうか。たくさんの友達からの思いが込められたメッセージに彼も励まされたことでしょう。彼は私だけでなく、本当に駆け引きなしにみんなを助けてきました。誰に対してもそうでした。だから、今、みんなが集まるのです。こんなにたくさんの人があっという間に彼を助けたいと思うと知り、私は自分のことのようにうれしく思いました。私は最近こういうあたたかい人のつながりをみていません。いつもどこかで疎外感を感じながら生きている気がします。ジョエルを通して、人っていいな、とあらためて学びました。

 最近私は本当に娘に助けられています。まだ8歳とはいえ、ほんとうに私を支えてくれています。この夏、娘はお買い物の練習を始めました。私はスーパーに娘だけで買い物に出すことはしたくありません。あまりにいろいろな人がいて、いつ誘拐されてもおかしくありません。でも、幸い、うちの角を曲がってすぐのところに小さな昔からのスーパーがあり、ここは私が高校生の頃にできたスーパーで、娘たちも学校の社会の授業で地域のお店を調べて歩いた時に立ち寄ったそうです。品数は大手のスーパーほどはありませんが、地元の人が多いせいか安心できます。とはいえ、よくテレビでやっている「はじめてのおつかい」みたいなことは私は反対。あんまり遠くまで子供だけで出かけて交通事故、誘拐、といった事件事故に遭遇する可能性は以前よりはるかに高まっています。だから、そういう事故に遭遇しても適切に対応できる年齢になるまではいたずらに子供だけを人ごみの中に出したくはありません。でも、どうやら娘のクラスメイトもこのスーパーにお買い物に来るらしく、「まあちゃんも買い物できるから、なにか要るもの言ってよ。」というようになりました。まずはパンとお菓子とバナナを買ってきてもらうことにしました。過保護なのかもしれませんが、うちの窓から娘がみえなくなるまでじっとみておりました。しばらくすると、玄関のドアが開く音がし、「ママ、ただいま!」と汗だくの娘が入ってきました。大きな買い物バッグを担ぐように持ってきたらしく、Tシャツの右肩がシワシワになっていました。「ママ、このバナナね、今日は特売なんだって。お兄ちゃんはバナナが好きだから買っておいたよ。あと、このパンも安くなっていたよ。でね、おつりがたくさんだったから、オセロ買おうかなあと思ったら、お値段みてびっくり。お高いの。お兄ちゃんの誕生日がもうすぐだから、そのときにまあちゃんはオセロを買ってもらえばいいかな。あとね、帰ろうと思ったら、急にのどが渇いてきたから、またお店に戻って、ミルクティーを買ったの。そしたら、余計にオセロが買えなくなってしまったの。」一気にまくしたてると右手に持っていたミルクティーをぐいっと飲み、「暑かったあ」とやっと一息。

 娘がこんなことを言ってくれました。「ママと一緒にいたいと思うけど、ママもやりたいことあるよね。お仕事休んだらいいのにって思うけど、そしたら欲しいもの買えなくなっちゃうか。まあちゃんが大人になったらママにいろんなことしてあげるね。アメリカ行ってもぜったい帰ってきてね。まあちゃん、お兄ちゃんと一緒にいいこにしてるからね。アメリカ行ったら、ママ、ゆっくり買い物できるといいね。まあちゃんもけっこう上手に買い物できるようになったよ。」娘がひとりで買い物に行きたがるのは、自立と同時にその逆もあったように思えました。ひとりでお買い物できるよ、という自立した自分を認めてもらいたいのと、ママと一緒のことできるよ、上手にできるよ、だから一緒にいたいよ、という一体感の表れにも感じました。まだ8歳なのに、一生懸命に私を送り出そうとしてくれています。

 日本に戻って六度目の夏。まさかこういう形でニュージャージーに里帰りするとは思っていませんでした。いつも元気であそこにいてくれたジョエルが病気だなんて今も信じられないのですが、現実をしっかりと受け止めなければいけません。ジョエルがいたから私はニュージャージーで過ごせた。そして、ジョエルがいるから私はニュージャージーに里帰りできる。それも現実であるならば、私は現実に感謝し、遠くの未来はわからないけど、目の前に訪れる一日一日を温かな気持ちで受け止めていきたいと思います。