ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2017 現実

現実

 

 あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。さてさて、2016年のお正月を迎えたのがついこの間のことのようにも感じられますが、いよいよ2017年が始まりました。みなさま、お正月はいかがおすごしでしたでしょうか。私が覚えているニュージャージーでのお正月は特になにもなく、元旦明けの2日には仕事をしていた記憶があります。実際、この原稿を書いているのはクリスマス前のまだまだキラキラのツリーをみながらなのですが、2016年の振り返りと2017年にかけるちょっと苦い思いを考えてみたいと思います。

 2016年の秋からほぼ毎日のように仕事を通して、市内の就労支援事業所をメインに各事業所見学に出かけております。自閉症の息子は今もこれからも福祉の支援を必要とします。同じ種の支援でも事業所によって内容も規定も異なり、当然のことながら雰囲気も様々です。私は二年ほど前、福祉の仕事に就くにあたって様々な思いがありました。ひとつは現実をみる怖さ、反対に知らないでいる怖さもありました。後者は知らぬが故にだまされていく怖さにもつながります。日本にもどって早七年になります。「住めば都」という諺がありますが、私はいまだに日本での生活、特に障害者支援について「都」を感じることはありません。言葉巧みにだまされていく、という思いは福祉の仕事に就いている今もあります。自治体によって異なることがあるため一概に日本はとはいえませんが、ここにおける福祉の現場、つまり支援事業所における支援員は実際誰でもなれるのです。常に人手が足りない現場、その上、給料も低い職種において、資格者を配置することは容易ではありません。そうなると、上に立つ職種には一定の基準は設けるものの現場はその指揮に従えばいいという構造図から無資格でもいいことになります。とはいえ、その管理者という職種に求められる基準というものにも、私は納得がいきませんが。福祉現場に5年以上勤務した経歴があれば管理者として個別支援計画を立てることができるのです。老人介護を5年勤務していた方が障害児の個別支援計画を立てることに私は母親として不安を感じます。福祉という枠の中で助けが必要であるという点では共通しますが、高齢者は障害ではなく加齢により不自由が生じてくるわけですから一緒ではありません。

 市内の障害児支援の施設で最も古い事業所というのが七年前の設立ですから、私たちが日本に戻ってきた年と同じです。「あそこは老舗だから支援も充実している」とききますが、私はそこに疑問を感じます。それは日本ではよくある「先輩ママに聞けばいい」に値します。母親業というコースがあり、そこで母親業というものを勉強しているなら、息子より3歳上の子の母親はすでに取得したコースでしょうから訊けば答えがくるでしょう。でも、それはコースではなく、たとえばただわが子の子育てを私より3年長くしているだけでしたら、まったく同じ行程ではないわけです。おそらく3学年上の子の母親は私より学校の年間行事の流れをよくご存知でしょうし、古くからいらっしゃる先生についての情報もたくさんお持ちでしょう。でも、それが障害の理解度と同じとは思えません。事業所も七年やっているからというだけでは「支援充実」とは結びつきません。いろいろなタイプの障害児と接してきた経験があることイコール、スキル的に高いとは必ずしも同じでないと思います。ある障害児童支援施設では「うちは子供たちを絶対に褒めません」と豪語し、保護者には「お宅のお子さんはうちでは最も低いレベルにありますから、もっと努力してください」というそうです。レベル?一体このおばさんはなにをほざいているのやら、というのが私の本音です。介護を長くやっていたこの人が管理者でその指揮にしたがって支援員が動くこの施設で、障害児にレベル付けしたり、「褒めません」とわけわからないことを豪語していたり、そういう施設が市内に3つも事業所を増やすのですから、「支援とは一体なに?」と思ってしまいます。こういったことは私が福祉の仕事に就き、裏からみたから見えてきた知りたくなかった現実でもあり、逆にこういった現実を知らずしてノホホンと大事なわが子を預けてほぼ素人の大人たちにわが子を評価される恐ろしさがあるという事実を知ることで多少避けられることもあったかもしれません。

 では、息子を「支援」という意味で安心して預けられる場がどこなのかとなると、ため息でいっぱいになります。「ゆっくりでいいよ」と見守ってくれる施設はあったとしても、息子の力を向上させてくれるところは一体どこでしょう。それは本来、学校に求めるべき課題なのかもしれませんが、私は息子に適した障害児教育的な支援が受けられると感じたこともありません。私は母親ですからどんなときも息子の人生に責任を持っています。そこを付かれるような気持ちはずっと感じてきました。息子のことを理解するのは私だけの責任でしょうか? 「お母さんに訊こうと思っていたんですけどね」「お母さん、こういうときはどうしたらいいですか?」「お母さんならわかると思うんですが」ずっとずっとそういわれてきました。それが嫌だから辞めてしまえというのは仕事ならできても母親はそうはいきません。他が理解できてないなら私がこの子を理解し導くしかないと思ってきました。いっそのこと小学校高学年になってまだ身辺自立が保育園児と同等くらいですと、学校でも個別支援で対応してくれますが、息子は身辺自立は達しています。逆に「一度声かけすればあとは自分でやれるから、時々手助けすれば大丈夫」という子はそこそこ手もかからず先に先にと伸びていきます。でも、息子はその間に入っています。やるべきことはしますが、そこに定着するには個別に支援が必要となります。「ユウくん、やりたくないならいいよ。ほかに何したい?」なんてこと言われていたら、フラフラするだけです。「ユウくんはまずは座ることから練習かな」と結論づけられたら本当にたまったものではありません。座ることが目的ではなく、なにかをするために座るのです。そのなにかをするように指導して欲しいといい続けてもう五年です。

 息子はいつか成人となり、自然の流れからいえば私が死んだ後も生きていくことになります。そこまで先でなくとも、高校を卒業した後の行き先を考えなければなりません。障害者の就労支援を受けることになると思います。それがまさに今、私が従事している仕事なのです。就労支援施設は三つのタイプに分かれます。就労移行支援というのが、障害者の職業訓練学校のような感じで就労に向けての訓練を一定期間において行われます。訓練内容は施設ごとに異なります。そして、A型就労継続支援というのが、その事業所と雇用契約を結び、就業に励みます。お給料も発生しますし、契約は就労規約に基づきます。出勤率も求められます。雇用契約を結んでの就労が難しいが仕事をするのがB型就労継続支援になります。B型ではお給料は発生しませんが、工賃が出ます。私がメインに見学してきた施設が就労継続A型とB型です。就労移行支援につきましては、私自身がずっと勤めてきましたし、通所できるのが永遠ではなく二年間となっているため、息子の長い将来をおく場でもないので知識としてみています。A型支援ですと、精神障害の方が大半です。もともと健常であった方がある環境下で精神疾患を患い、なかなか一般の職場では勤まらないため支援を必要とする方たちです。出勤率も求められるため精神障害の方にとって大きな挑戦となりますが、仕事は高度なスキルを求められることもあり、やりがいはあるようです。とはいえ、どこのA型もそうかといえばやはり利用基準は事業所によって異なります。B型はかつては授産所と呼ばれていた作業所で、毎日出勤できなくても半日の勤務でもOKというところがほとんどで、やんわりとした規定の中で作業した分が工賃として支払われるためお小遣いを稼ぐくらいの感じで勤めていられるところが多いです。それでもB型とはいえ、A型に近いほど厳しいところもあれば、逆にA型でも「やれることをやって、毎日楽しく過ごしていただければいいんですよ」というB型に近い施設もあります。息子に合う事業所はここに存在するのかと考えると永遠のテーマになりそうです。就労支援は職場として、では私が死んだあと(新年早々言う言葉でもありませんね)、息子の居住する場はどうなるのかと考えるとやはりグループホームを忘れてはいけません。しかし、グループホームはあくまでも身辺自立していて、他人との共同生活をできる人に限られます。夜間、スタッフのいないグループホームもいくつかあります。要するに緊急事態に電話で助けを呼べることが前提となります。今の息子の状態ではグループホームでの生活は難しいですが、なんといっても息子はまだ11歳、先の成長は無限です。今後、グループホームも見学していきたいと考えながらも、期待していいものか、知らなければいい現実を目の当たりにするのか。。。

 障害者支援において、おそらく介護でもそうでしょうが、人手は足りません。そして、アメリカほどの進歩は見受けられません。手作り感あふれるアットホームな雰囲気を誇張されても、スキルのある支援は必要です。でも、それは障害者自身の問題ではありません。「あなたたち障害者に問題があるから、私たち支援員が足りないのです」ということはまかり通りません。施設利用を開始する際には「個別支援」とうたいながら、実際に通い始めると「利用者ひとりにそこまでスタッフをかけることはできませんよ」と言われるのはいかがなものでしょうか。

 日本に戻り七年がすぎ、なんとなく私たちの生活も人並みになりました。障害児子育て先輩ママたちに「うちの子もそうだったわ。大丈夫よ、そのうちおちつくわよ」と言われてきたものの、実際に現場にとびこんだ私がみたものはそんな甘い緩やかな現実ではありませんでした。うちの子とよその子は違うのです。よその子はそれでよく、おちついたとしてもうちの子は同じ行程をたどるとは限りません。なかなか「住めば都」という場におちつくことができませんが、それでも私は今年も「しらなきゃよかった現実、でも知らなかったらだまされる現実」を感じながら強く生きていきたいと思います。今年は息子の干支年です。なにかひとつでいいので「よかった」と思えることが息子のもとに舞い降りてきてほしいなと願っております。