ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2017 同窓会

同窓会

 

 先日、小学校の同窓会に行ってきました。私は高校を卒業して以来、地元から離れていたため同窓会という集まりとは無縁に過ごしてきました。お知らせのはがきは数回きたものの、私は海外にいたり、日本にいてもスケジュールがあわなかったりで欠席続きでした。今年になり、中学校の同窓会がありました。「同窓会」という言葉にあこがれを持っていたせいか、私の心の中であまりに大きく動揺がふくれあがり、結局お知らせはがきに欠席に丸を打っての返信となりました。そして、それから二ヵ月後、今度は小学校の同窓会のお知らせがきました。このチャンスを逃したら私は行方不明者として登録され、二度と誘ってくれなくなるのではないか、と不安がよぎりました。娘が「ママ、行ってきなよ」と、主人が「行くべきだな」と、息子が「ママ、ユウはお留守番」と、三人に後押しされ、人生初の同窓会に出席する運びとなりました。

 私が描いた同窓会は、数年前に放映されたテレビドラマ「同窓会」。素敵な小学校のクラスメイトが集まり、夢のようなドラマが私にも起こることを描いておりました。「先月入籍したばかりなんだから、すてきな出会いを探すってのはダメだよね」、「初恋の辰巳君がすごくカッコよくなって現われたらどうしよう」、「ジュンコ、変わんない、やっぱり早生まれだわ、クラスで一番若いわけだよね」私の頭の中は妄想会話でいっぱい、同窓会をきっかけに私の人生が変わってしまうくらいに興奮しておりました。なにを着ていこう、どのバッグを持っていこう。久しぶりのおしゃれに心はウキウキでした。

 いよいよ、当日。主婦という生き物はどんなイベントがあってもその前後は主婦でしかありません。同窓会は午後2時からということで、正午から午後1時まで子供たちをピアノとギターのレッスンに連れて行き、あわただしく着替えをし、同窓会に向かいました。会場の駐車場に車を停めるといざ出陣です。会場のドアを開けるとそこには華やかなドレス姿の同窓生たちが。。。のはずが、現実は夢のようにはいきません。そこにいたのは、近所のおじさんみたいな男性が3~4名と、スーパーの惣菜売り場で横に居合わせたような女性が2名。「お、純子ちゃんだね」と声をかけてきたのは、近所で、親の跡を継いで米屋をやっているヨシナオ君。あとの人たちは誰が誰なのかさっぱりわかりません。会場に入っていくと、数名ずつの小グループがいくつかに分かれていました。さてさて、私はここに来て正解だったのでしょうか。全く知らない人たちの中に飛び込んでしまったような気持ちでした。私は高校卒業して以来、アメリカから戻ってくるまでほとんど市外で生きてきたので、地元とのつながりはかなり薄いのです。しばらく、ドア付近でひとりで突っ立っていました。

 首からぶら下げたタグには名前と小学校のときの自分の写真がありました。お互いに名前と写真をみながら、小学校時代の思い出を手繰り寄せては話し始めました。しかし、違う。こんなんじゃないのだ。もっと華やかに「わぁ、久しぶり。変わってない~」とちょっと高めの声で再会を喜び合うはずなのです。やはり現実は夢のようにはいきません。なんでおじさんとおばさんばかりなんだろう。ちょっとおしゃれしたのはわかるけど、バッグは普段使いだよね?なんでみんな、ペチャンコの靴なの? ポロシャツにカジュアルパンツって、休日のお父さんじゃん。キンキンの高い声どころか、目を細めながらタグの名前をみて遠い記憶を必死で思い起こしている眉間のしわ。「誰だっけ?」なんていいながら近づいてくる?ミステリアスな出会いどころか、これじゃ、近所の集まりみたいじゃん。核言う私も「鈴木純子ちゃん?。。。お、思い出した。おとなしかったよね。」小学時代、私は目立たずそっと過ごしていたせいか、小さくておとなしかったくらいしかみんなの記憶にはなかったのです。

 想像していたドラマのような展開は期待できそうにないものの、目の前にいるおじさん・おばさんの顔の中には、小学生のときの顔が面影を残していることに興味をもちました。コンピューターでみかける、子供の頃から年寄りになっていく過程をみているように感じました。おそらく昨日、吉野家で出会っていたとしてもお互いに知るわけもなくすれ違っていたでしょう。でも、今日は40年間の変化する工程をみてしまったようで、明日もしもすき屋で出会ったらきっと、「あ、xxxちゃん。」と声をかけることでしょう。

「純子ちゃん、俺、覚えてる?」と声をかけてくれたヨウ君。「うん、覚えてるよ。私、一年生のとき、ヨウ君ちに遊びに行って、ヨウ君ちのこたつで昼寝したんだよ。」「そうだっけ?」「そうだよ」ヨウ君は実家の近所に住んでいた同級生。フランス料理のシェフになり、地元でフレンチレストランを経営しています。「今度、ヨウ君のレストランに行ってもいい?」「おお、いいよ。たぶん、うちの料理おいしいと思うからさ。」私たち、昭和47年入学のみんなは、おじさん・おばさんになりました。同窓会にいた2時間、私はママでもなく、妻でもなく、パートのスタッフでもなく、40年前の小さくておとなしい「鈴木純子ちゃん」でした。