ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2018 障害者就労移行支援 ~教育と福祉の共存~1

障害者就労移行支援 ~教育と福祉の共存~1

鈴木純子

 ニュージャージーにいた頃、私はESLの教師でした。私のクラスにもADHDの子供がいました。私の生徒たちはみんなそれぞれ異なる文化を持ち、異なる言語を話すいわゆる「移民」の子供たちでした。そういう子供たちに日本人の私がアメリカの文化と英語を教えていたという、あの頃は違和感もなくやっていたことが、今の私には日本に戻って8年も経つとおそろしく不思議なことに思えるのです。ひとりひとりが「個人」として集団の中にいる環境が心地よく感じていた私が、「みんな一緒」という集団に入って「みんなと一緒」のふりして生きることは帰国したばかりの頃は本当に苦痛でした。それでも時間と共に「みんなと一緒」のふりをすることがうまくなり、苦を感じることなくふりができるようになりました。ふりはしていても、私の中には今もアメリカで心地よく感じていた人生観は残っています。自分を貫くというのは、周りに対してむきになって反発することではなく、周りに流されず自分を持ち続けていくことだと思います。みんなと一緒だというふりをして周りとよい関係を持つことは私が身につけてきたスキルでもあると思っております。

 生きることは楽しいけれど大変でもあります。文化や言語、習慣の異なる環境の中で生きることは時として苦痛すら感じます。日本人でありながら、タイ、カンボジアアメリカでの生活を経てきたため、日本での生活になじめなくなっていた私が、今この日本の生活の中で自分らしさをみつけることもできるようになりました。心の片隅ではいつもアメリカでの生活を描きながらではありますが。

 自閉症の息子、ユウちゃん、身長も私よりはるかに高くなり、学校では自分をファーストネーム「マイロン」と呼んで欲しいと言ったらしく、外ではもうユウちゃんではなくなってしまいました。いつまでもママのかわいいユウちゃんでいてほしかったけれど、子供は成長し、いつかは親元を離れていくのです。障害のある子供を育てていると、ついつい、いつまでも親の私がみていてあげなきゃ、なんとかしなきゃ、と抱えてしまう思いに駆られます。自然の原理として、親が先に逝きます。健常な子供であれば、「ママが死んだらあとは頼むよ」と言えるでしょうが、障害のある子供については「この子を残して逝けない」と思ってしまうのです。私も自閉症児の母、自分がいつか年老いてその時が来たら息子はどうなってしまうのだろうか、という不安を抱えています。

 息子には小さなときから「社会で生きる大人になってください」「社会で働く人になってください」と願っています。できないからしかたない、というあきらめにも似た言い訳で社会に依存してほしくないです。自分で生きてほしいと願います。できないことを助けてもらうことは必要です。でも、自分でできることを増やしてほしいし、できる自分を誇りに思うことを学んでもらいたいです。それは息子に対してだけでなく、健常な娘に対しても願います。そして、私自身が年をとったときにもそうありたいと願います。障害のある人はかわいそうな人ではないのです。たくさんのことに挑戦しながら生きていく強さを持っている人たちです。障害のある人も社会の一員として社会に貢献します。でも、社会は決して甘くもぬるくもありません。残念ながら、がんばっているからといって全てが受け入れられるわけではありません。私は息子を通して、そして自分が感じてきた生きにくさを通して、社会はきれいごとだけではないことを実感しています。

 福祉で働く人となって早4年が経ちます。きっかけは、「私がユウちゃんの足元を照らす灯りになる」という思いです。障害のある子が特別支援学校にいる間は、学校があり、放課後等デイサービスなどの福祉サービスがあり、家庭があり、たくさんの人によって支援されています。息子に問題が起きれば、息子に関わる福祉施設の方々、学校の先生方、母親の私が集まり「担当者会議」を開き、必要な支援を家庭と社会とで連携して考えてもらえます。でも、特別支援学校の高等部を卒業した後は、学校からの支援がなくなります。そうなると、家庭と福祉での支援となります。福祉にかかってくるものも大きくなります。教育と福祉の支援を同時に受けることは高等部までは可能でも、卒業したら無くなってしまうものなのでしょうか? 私はこの4年ほど、障害者の就労支援の仕事をしています。就労するための支援だからといって、働くことだけをサポートしてもその人が就労することに達していなかったら、「仕事はあきらめよう」ということになるのでしょうか? そういうケースもありました。でも、私は可能であれば「就労できるよう訓練しよう」と思います。その人が「働く社会の一員」となるように訓練するにはどんなことが必要なのでしょう。どんなサポートがあればその人は働けるのでしょう。

 4月から私は新しい就労移行支援事業所に勤めています。過去3回就労支援事業所立ち上げに携わり、4回目となるわけですが、今回の事業所はちょっとすごいのです。特別支援学校の元校長先生、元教頭先生、公立学校の元教頭先生が4人もスタッフとしているのです。ほかにはトヨタ本社にいた方や、養護学校の給食調理師だった方もいます。またまたすごいのが、私以外がみなさん六十代という人生経験豊かなメンバー。教育の、人生の、そして特別支援教育のプロがいろいろな観点から就労支援に取り組んでいきます。今までの事業所になかったメンバーの集まりに、私はまた新たな文化を取り入れる思いでおります。