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ENJOY 2018 知的障害者の就労支援

知的障害者の就労支援

 

 私が住む地区では、障害者の就労移行事業所に通所する利用者の大半は精神障害または身体障害の方だという傾向があります。中には軽度の知的障害者もいますが、就労移行事業所の対象が「一般就労を希望する障害を持った方」なので、知的障害のある方は受け入れがたいという事業所が多くあるのも現実です。知的障害者を軽視する社会の現実も私は息子を通じて感じています。「言ってもわからない」「理解できない」「話が通じない」「危ない」などマイナス面を誇張するような理由を掲げられると、知的障害者とその家族はあきらめざるを得なくなります。知的障害者が一般の会社で仕事をするなんて無理でしょう、と思われているのでしょう。仕事、って何かなと考えます。仕事ってたくさんの業種があり、職種による上下はあってはならないことだと思います。どの仕事も社会を支える上では必要なのですから。

 残念ながら私の住む地区は近隣の市町に比べても「外者は入れない」という色は濃く、おそらく日本のほかの地区ではそこまでは差別的な扱いはないのかもしれません。私の街は、「うち」と「外」を分ける風習がいまだに強く、障害者や外国人はなかなか仲間に入れません。目に見える障害者に優しくすることは社会に評価してもらえても、目に見えない障害者を理解することは難しく、接触を避けたい気持ちがあるのかもしれません。そういう障害者が「一般」に入ることは容易なことではありません。

 私が今勤めている障害者就労移行支援事業所は今年の六月に開所いたしました。現在、利用者は二人。二人とも知的障害の方です。そのうちのひとり、Aさんは現在43歳の女性、独身で親と同居しています。中度の知的障害があります。Aさんはこの事業所の利用者第一号として七月から通所しています。家は事業所から徒歩3分の距離で、毎日休まず遅刻もなく通所しています。小学校も中学校も地元の学校の特別支援クラスに在籍し、高校からは特別支援学校の高等部に通ってそうです。実家は和食レストランを営んでおり、高等部卒業後は実家のレストランで働いておりました。お料理のお運びが主な仕事だったようです。お客さんのほとんどは地元の方だったそうで、彼女に障害があることはお客さんも心得ていたので、多少の雑さは容認され、わからないときは他のスタッフが助けてくれていました。親子とはいえ、仕事をした分は賃金払いはあり、いわゆる「一般就労」をして過ごしておりました。

 ところが、調理師だったお父さんの体調が優れないことを懸念していたところ、今年の春に心筋梗塞で救急車に運ばれ、入院してしまいました。これ以上お店を継続していくことは難しいだろうと、閉店することになりました。アパート経営や土地も貸していたりと、お店を閉めても経済的に苦しくなることもないそうですが、問題はAさんの将来についてです。今までは家族とはいえ「一般就労」していたのですが、これからは無職となり、親がいなくなった後、どうやって生活していくのだろうか。それは障害者の親のほとんどが抱える課題でもあります。たまたま同時期に私たちの事業所が開所となり、早速お母さんが相談にいらっしゃいました。

 Aさんは中学生のとき、いじめられたこともあり、お母さんはAさんを懐に抱えたままきたんだな、という印象でした。私たちが質問すれば、Aさんが口を開く前にお母さんが答えてしまいます。Aさんも自分で説明するよりお母さんが言ってくれたほうがいいという顔で、お母さんに答えを頼る姿もありました。お店で働いていた、一般就労していたとはいえ、もしかすると自立度は低いのでは、というのが私たち支援員がAさんに対して感じた第一印象でした。

 案の定、Aさんは日常生活の多くは小学生の子供のようにお母さんに頼っていました。食事のしたくも片付けもしません。家事は一切しないようでした。でも、ひとりで市バスに乗ってモールに行くことはできます。最初の2-3日は徒歩三分の距離をお母さんに送られ、帰りは迎えにきてもらっていました。包丁も握ったことがなく、調理実習で包丁を渡されると「こわいー」と泣き出してしまいました。私たちはいかにAさんを支援していこうかと話し合いました。就労につなげていくには、生活の自立・安定はかかせません。職業的なスキルを高めることも大事ですが、やはり社会に生きる人としては親がいなくなったあとも生き抜いていく力をつける必要はあります。

 通所開始から三ヶ月がたちました。Aさんには日常生活に必要となる支援を日々の活動の中に取り入れています。たとえば、清掃。掃除機をかけたこともなければ、トイレ掃除をしたこともなかったそうで、最初は道具の持ち方から教えました。指示されたことが終わったら「おわりました」と報告すること、わからないときは「わかりません」「教えてください」と助けを乞うこと、などを作業の中にふまえての支援をしています。トイレや調理室のタオルを洗濯するのも、干すのも、畳むのも彼女にやってもらっています。洗濯機にいれたら終わりではなく、畳んで棚にしまうところまでやってこそ完了だということを覚えてもらいました。作業訓練では単純な作業を黙々と取り組んでいます。飽きてしまわないかと思うような作業ですが、彼女は毎日嫌な顔もせず延々とやっています。彼女には知的な部分において障害があり、健常な43歳女性のようにはできないことが多々あります。でも、教わる姿勢はすばらしく、飽きてしまいそうな作業も嫌な顔せず黙々と毎日取り組んでいます。それは私たちが見習うべき姿勢だと思ってみています。

 「知的障害者だから一般就労は無理だ」とは思いません。その障害特性にあった仕事に就けばすごい力を発揮してくれるでしょう。でも、生活の自立は訓練しなければ身に付きません。「自分で水筒にお茶をいれてきました」「昨日の夜、私がご飯をたきました」「おかあさんに言われる前にお風呂の掃除をしました」Aさんは事業所でやったことを家に帰ってからもやっているようで、お母さんが喜んでいました。訓練が訓練で終わらぬよう、訓練が生活に活かされていくことが今、Aさんの大きな課題かなと思って支援しております。