ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2011 みんなの運動会

みんなの運動会

 

 先日、子供たちの保育園の運動会に行って参りました。日本ならではのものですね。パパ・ママ、じいちゃん・ばあちゃんがシート持参でわが子の姿をビデオを構えてみている。これぞ、日本の秋!という気分になりました。

 娘は父親譲りの運動音痴。「かけっこが嫌だから保育園は辞める」とまで言い出したくらいに走るのが嫌い。それでも運動会が近づくと、「今日はがんばったから三番さんだった」ということが増えて、四人中三番目というすごい成果もみえてきました。娘は一番が嫌いです。なぜならば、一番は自分の前に誰もいないから目標がみえないのです。いつも二番にあこがれています。三番は限りなく二番に近いわけだから、私は娘を毎日褒め称え、いつの間にか運動会を楽しみにするようになりました。

 さてさて問題は息子です。いくら午前中だけの行事とはいえ、彼が三時間も四時間ももつだろうか、私の頭の中は不安でいっぱい。普段と違う雰囲気にのまれてしまうのではないか、年長競技に参加できるだろうか、それよりなにより彼はみんなに嫌がられやしないだろうか。運動会では私は息子に付き添い、娘のことは見てあげられないかもしれない、そんな覚悟をしておりました。

 運動会の練習が毎日行われるようになった頃から、息子が家でなぞの体操をするようになりました。いきなり「手押し車!」と言いながら娘の足首を持ち上げるので、「やめてよお、お兄ちゃん!」「やめなさい!危ないことしないの!」と女二人に叱られたり、ブランケットの中にもぐって端から端まで移動していたり、息子がなにをしているのか私にはわかりませんでした。「ゆうちゃん、運動会で何やるの?」と聞いても、にやりと笑って「それは内緒」というだけなので、それ以上は聞きませんでした。でも、お迎えに行くと、息子はいつも楽しそうな顔してるし、うちでは大好きなお友達の名前を呼ぶ練習をしていたので、きっと彼は練習を楽しんでいるんだな、と思いました。それでも内心「なんとか無事に運動会がすんでくれたらそれで十分」と思っていました。

 息子は普通の保育園に通っています。娘同様まわりはみんな健常な子供たちです。もちろん、息子には加配の先生がついてくださっているのでみんなと同じようにひとりでなにもかもやっているわけではありませんが、みんなと同じように行事に参加させていただき、みんなと同じように同じ場で同じ時間を過ごしています。息子は保育園が大好きです。好きな女の子もいます。お友達もできました。先生方にも恵まれています。お友達のすることをみていて真似して、いつしか自分もできるようになる、そんな刺激いっぱいの環境が息子にはうれしいようです。朝、息子を連れて行くと、すでに来ているお友達が「先生!ゆう君が来たよ!」と教室にいる先生に知らせてくれて、お迎えに行くと「先生!ゆう君のお母さん来たよ!」と大きな声で呼んでくれます。「今日ねえ、ゆう君ねえ」と私のまわりにきて話してくれたり、「ゆう君もうすぐ来るよ」と教えてくれたり、私はこの子たちの優しさに頭が下がる思いです。子供は幼いけれど、大人よりも大きな心で相手を包み込むことがあります。一度、息子が教室から出てくるのを待っていた時、ひとりの子が「今日ね、ゆう君ね、大きな声でキーッって騒いだの。」と言いました。私は「ごめんね、うるさかったよね。なにか嫌なことがあったのかもしれないね。ごめんね」と謝りました。すると、その子は極普通に「いいよお、ちょっとびっくりしただけだから。」と言いました。私は「ゆう君はうるさいから嫌だ」と言われるんだろうなと思っていただけに、はっとしました。そういう見方をしていたのは私。この子は事実と自分の驚きを純粋に伝えてくれたのです。帰り支度を終え、走り出す息子。続いて息子を追いかけるK先生。こういうときの息子は風のように速いし、K先生も息子に負けじとスピードあげて走ります。ひとりの子が「うわあ、K先生、めちゃくちゃ速い」と言い、「うん、ゆう君もすっごい速いなあ」と別の子が言いました。私なら「なんでゆう君は走り出すんだろう」とネガティブな目線でみてしまうのに、子供たちは驚くばかりの速さをポジティブにみていました。

 息子には障害があります。私は日本に戻ってきて感じたのは障害がある人はあくまでも「障害者」、それを認めなければ支援しませんよ、と言われるかのように冷たく厳しい社会だという悲しい悔しさでした。セラピーを受けるため療育センターに通いたいといえば、障害者手帳がなければ通えない。手帳を取得したらそれで「障害者」という人になるのです。その手帳も重度、中度、軽度という判定がつけられます。息子みたいな発達障害の場合、そのときの環境や心理士との相性によってテストの出来具合いも変わります。だからその判定というのはあくまでも数値でみた目安であって、完全にその人の障害程度を示しているとは限らないのです。そんなことは親も担当医もわかっているはずですが、公的な、例えば就学相談などでは、その判定値をもとに「この人は中度という判定が出ているから」という理由で決められた中に入れようとします。それはたいてい健常児に迷惑かからないようにという姿勢が読み取れます。息子をこの保育園に入園申込書を提出する前に、ほかにいくつかの保育園にも見学にいきました。心無く「障害があるなら、今いる療育センターに入れておけばいいんじゃないですか」「親のエゴでしょう、障害のある子を保育園に入れたいのは」などと言われました。ああ、日本ってこんななんだなあ、と落胆しました。落胆しながらも、長くアメリカにいたせいか言われっぱなしでは帰ってきたわけではありませんが。そんな中、この保育園は違いました。申込書を提出した際、「現時点では入園できますとは言えませんが、でも、もし入園できることになったらそのときは精一杯のことはやらせてもらいますから」と言われ、私はここに息子を入れてもらいたいと心から願いました。あれから一年が経とうとしています。あのときも今も息子には障害があります。あの頃「障害児だから」と言われた息子は、今、保育園の園庭でみんなの中で走り回っています。とびっきりの笑顔で空を飛ぶ飛行機やヘリコプターを見上げています。障害のある子供も、健常な子たちの中で幸せでいられるのです。それを社会がもっとわかってくれたらどんなにすばらしいでしょう。

 いよいよ運動会です。私は息子に付き添うのかな、と思っていたら、「お母さん、ゆう君がんばりますから、楽しみに見ていてくださいね」とK先生が言って下さいました。え、私は他のお母さんみたいに座ってみていてもいいの? 信じられないことでした。観客席からうちの子を応援するお母さんでいてもいいの? 私、普通のお母さんでいられる。。。 K先生と並んで入場する息子。たくさんの観客にドキドキした表情をしながらも走り出すことなくしっかり行進し、準備体操もしていました。競技が始まりました。徒競走では遅いながらも最後まで走りました。年長の出し物「忍者」、私は息子が家でやっていたなぞの体操をここでみました。妹の足首をつかんでいたのは「二人忍法・手押し車」というペアワーク、ブランケットにもぐっていたのは「忍者の技」でした。息子はうちで練習していたんです。手足頭に赤いタスキをつけて忍者姿でみんなの真似している息子は、なんだかとっても大きく輝いて見えました。息子とペアを組んだ子も、嫌な顔せずしっかり息子をリードしてくれました。

 最後に、年長だけクラス対抗のリレーがありました。「これは無理でしょう。ゆうちゃんがいたら、たんぽぽ組は最後になるのがみえてるもん。」と思いました。さすがにこれにはゆうちゃんは出ないだろうな、と思っていました。が、息子がK先生と並んで歩いて入場してきました。息子は走りました。普段逃げ足の速い息子ですが、こういう場では歩くような速さです。ほかのクラスにどんどん差がつけられていきます。息子は走りきりました。息子が走っている間、誰も怒る様子もなく、文句も言わず、息子を見守ってくれました。勝負は明白でした。でも、息子のクラスの子達はそれを受け入れてくれました。私は小学校のとき、運動会のクラスリレーで転びました。私が受けた言葉は「おまえのせいで」という非難でした。息子のクラスの結果はまさに「おまえのせいで」に値するとしても、誰も息子を責めませんでした。

 私はアメリカにいたとき、「異文化に触れた時、大事なことは理解(Understand)し、その上で受け入れる(Accept)こと。」と信じてきました。ESL教師だったとき、私の生徒はみんな異国からきた移民でした。それぞれに異なる文化をもつ生徒たちに触れるたび、彼らの文化を理解することからはじまり、「この子はこういう文化の中で育ってきた子」だと受け入れるようにしていました。私は、息子のクラスメイトをみていて、理解できなくても受け入れることはできる、という新たな考え方を学びました。保育園児が息子の障害を理解することは難しいです。理解できないから、自分たちと違うことをするから、「おまえは違うから仲間じゃない」というのは簡単です。でも、あの子達は、どうして息子が大きな声を出したり、決まったパターンのような行動をとるのか、そういうことが理解できなくても、息子をクラスの一員として一緒にいてくれるのです。そして、学ぶというのは、自分より知識深い、経験豊富な人から学ぶばかりでなく、無邪気な保育園児から大きなことを学ぶことも知りました。

 息子は保育園が大好きです。息子は幸せな子です。先生方に恵まれ、いいクラスメイトに囲まれ、お気に入りのおもちゃや場所がいっぱいの保育園に毎日通っていられるのです。そして、私も幸せな人です。保育園では息子のためを思って、「ゆう君にこうしたらいいかなと思って」と配慮していただき、安心して大事なわが子をお願いできるのです。今度は発表会です。息子は舞台に立てるでしょうか。きっと大丈夫です。息子はひとりではありません。私ができる唯一のことは息子を信じること、そしてひとりの母親として見守ること。あとは息子がみんなに支えられながら乗り越えていきます。ここには強くて優しい風が吹いています。