ENJOY アメリカ・ニューヨーク 日系情報誌連載エッセイ集

アメリカ・ニュージャージーで過ごした生活の中で私が見ていた景色

ENJOY 2012 我が家のインフルエンザ

我が家のインフルエンザ

 

 今年の冬は寒かったです。ニュージャージーからは「マイルドな冬を満喫しているよ」などと聞きましたが、こちらは恐ろしく寒かった。実際、私の住むあたりの寒さは私の愛してやまない雪の舞うニュージャージーの冬とは比べ物にならないくらいマイルドなのですが、ただ家屋がこの寒さに向いた建て方ではないから、今年の冬の寒さは堪えました。セントラルヒーティングはまだまだ一般的ではなく、部屋から部屋へは寒い廊下を走ります。我が家は通気性がよくできている上、窓は二重窓ではないから、なんだかどこからともなく霊気ならぬ冷気が感じられ、背中がぞくぞくっとするのです。いつもなら滅多に雪は降らないのですが今年は綿ぼこりのように舞う雪を何度か見ました。私の好きな雪はあっという間に積もる雪で、それを暖かな室内からじっとながめるのがいいのです。風に舞う雪を冷気漂う室内で体を硬くしてみていても楽しくありません。積雪後のお楽しみ、雪かきがあるわけでもなく、ただただ寒いだけの冬なのです。

 この寒さと乾燥のせいか、今年もインフルエンザは流行りました。今年は五年ぶりにA香港型が猛威をふるいました。私たちの住む地区は全国でインフルエンザ流行の先駆者で、その中でも私たちの町はかなりの勢いでした。一月の半ばを過ぎた頃、子供たちの通う保育園でインフルエンザにかかった子供の数が日に日に増えていきました。最初二人だったのが、翌日に四人になり、その翌日には八人と、一日で二倍になっていくのをみて「どうかうちのふたりはかかりませんように」と祈りました。普段神仏を敬う習慣のない私の祈りなどきくわけもなく、ある日、保育園から戻った息子が倒れこみました。「お、とうとうきたか。。。」と。しかし、どうしてよりによって息子にうつってしまったのでしょう。息子は白衣を着た人が大嫌い。つまり、お医者さんも歯医者さんもついでに床屋さんも大嫌いなのです。そして、味覚に過敏な息子はこれまた薬嫌い。その上体温計まで怖がるから強引に熱を測ろうものなら一度くらいは体温があがってしまうのではというくらいに嫌がるのです。そうです、息子は病気になったら最も苦しむ類の人なのです。

ぐったりと私の膝に倒れこむ息子。甘えん坊なので私に擦り寄ってくることは日常茶飯事なのですが、このときはいつもの甘えん坊さんとは違ってまさに「ぐったりと」という感じでした。「あらら、まさかゆうちゃん、インフルエンザ。。。とうとう我が家にも訪れたのかしら」と思っていると、息子はそのまま眠ってしまいました。かつて「眠りの森のゆうちゃん」と呼ばれ、幼稚園でも机に突っ伏して寝てしまうくらいによく寝る子でしたが、5歳前からは夜の睡眠だけで十分になり日中は眠ることはなくなっていました。娘はちょっとでもお昼寝をしてしまうと夜はなかなか寝付けなくなるのですが、息子はいくら昼寝しても夜の睡眠に影響することはないので安心して寝かせておけるのです。とはいえ、羊水の中の胎児のようにまん丸になって眠る息子はいつものお昼寝とはあきらかに違いました。熱を測ると三十七度五分。高熱でもありません。夕飯になるとムクッと起きて、大好きな白米をお茶碗四杯食べました。「普通の風邪だったのかな」と思い、いつものようにお風呂に入り、九時前にはお布団に入りました。その一時間後、息子の体は燃えるように熱くなりました。熱いからお布団を蹴飛ばす息子。間違いなくインフルエンザだと確信し、息子を一晩抱きかかえながら朝が来るのを待ちました。無力な母は、息子が病気になると、一歳のときも六歳になった今もこうして抱きかかえることしかできないのです。朝になり、実家に娘の保育園の送迎を依頼し、私は息子をお医者さんに連れて行きました。息子の熱は三十九度五分でした。

 鼻の奥の粘膜を採取し、インフルエンザの検査が行われます。鼻に棒を突っ込まれるわけですから決して心地いいものではないはずです。当然のことながら息子は嫌がり叫びました。ただ、ちょっと驚いたのは息子の中では「嫌いなこと」と「それでもやらないといけないこと」というふたつのことがひとつの設定の中に起きうると理解しているということでした。つまり、嫌なことや嫌いな場面があったとして、「だからやらない」「だから逃げる」というのはひとつの筋道としてはありますが、実社会では「それでもやらなければならない」ということが多々あるわけです。息子が抱える恐怖心というのは通常の人のそれの何倍も強く感じられるのです。その恐怖心を抱えながら、「お医者さんは大嫌い。それでもボクはなんとかやらなければ」と立ち向かったのです。ほんの数ヶ月前は「いやだ。帰る」と言って、歯医者さんの椅子から逃げ出していたのです。ここにも息子の成長がみえたわ、と感心しながら、「タミフル」というお薬を頂いてきました。

 「息子は味に過敏なので薬はジュースに混ぜなければ飲めません」と言ったら、お医者さんは「混ぜていいですよ」と言ってくださいました。だから息子の好きなアップルジュースに混ぜました。息子、タミフルフレーバーのアップルジュースを口にするや否や「No!」と渋い顔をして、カップをつき返してきました。「ゆうちゃん、これ飲まないとお病気が治らないよ。ちゃんと飲んで」と再度カップを息子に渡しました。息子はとてもいやな顔をしながらもう一口飲みました。そして、「もうおしまい。もういらない」とカップをおいてお布団にもぐりこみました。食欲は落ちました。息子は毎朝五枚切り山型パンを六枚食べて保育園に通います。夕飯は子供茶碗四杯の白いご飯を食べます。偏食ですが、食べる量は多いのです。そのゆうちゃんが、一日にパン一枚にも満たない半分くらいしか食べられなくなりました。とにかくタミフル飲んで熱を下げて、もっと食べないと体力が消耗してしまうと思い、「ゆうちゃん、お薬飲んで。飲まないと治らないよ」とタミフルアップルジュースを勧めていたら、タミフル飲むと「お腹が痛いよお」と言うようになりました。痛みはかなりのようでした。食べれない上に腹痛を起こし、タミフルが入っているからとジュースはいやだと言い出しました。息子はアップルジュース以外、歯医者さんの口ゆすぎのお水を間違えて飲んでしまうくらいで、あとはなにも飲まないのです。アップルジュースは飲まないといわれてしまうと、水分がとれません。これは絶対にいけないと思い、タミフルを中断することにしました。とにかく水分と休養だけはしっかり確保しないといけません。タミフルの説明書をよくよく読んでみたら、副作用が出ることがあり、異常行動であったり、消化器系で下痢、嘔吐、腹痛が起きることもあると書いてありました。息子は消化器系の弱い子です。薬嫌いな息子がやっとの思いで薬を飲んだら、副作用の腹痛を起こして苦しむなんて、余計に薬を嫌いになってしまいそうで心配しました。

 息子がインフルエンザにかかってすぐに、娘は私の実家に預けました。私の両親が娘の保育園の送迎をしてくれたのですが、息子が休み始めて二日後には保育園でもかなりの子供がインフルエンザにかかったようで登園自粛となりました。「まあちゃんねえ、明日から保育園がお休みになるの」と言っていたその日の夜、実家から娘が高熱でぐったりしていると連絡がありました。私の母がうちにきて息子をみてくれて、私は娘を救急に連れて行きました。夜九時を回っていました。いつもならお布団に入っている時間なので娘は診察の順番を待っている間に「ああ、眠たい。もうまあちゃんダメー」と言いながら眠ってしまいました。三十分ほど待っていたら順番がきました。娘の名前を呼ばれ、私は眠っている娘を担いで診察室に入りました。お医者さんが「高熱で意識がないわけではないでしょうか。」と眉間にしわを寄せて聞いてきました。「いえ、時間がこの時間ですから、先ほど、もうダメーと言いながら眠ってしまいました」と言ったら、「もうダメというのは苦しさから意識が遠のいていくのか、眠気におそわれてなのか、どちらでしょう」と言われ、「後者だと思います」と答えました。そんなやりとりをよそに娘は診察台の上で大きな寝息を立てて熟睡していました。「熱が高いと脳にくることがありますのでね、それが心配で」と言いながらお医者さんは娘の体に聴診器をあてて診察してくださいました。インフルエンザの検査は決して心地よいものはないから寝ている間にやってしまいましょうということになりました。鼻の奥の粘液採取棒を鼻に入れたとたん、娘の叫び声があがりました。ぱっと体を起こすと、「やめてちょうだい。まあちゃん、大嫌いだから!」と寝ぼけながらも怖い顔でお医者さんの手から棒を奪おうと必死に暴れる娘。わが娘ながら「この子は何者ぞ」と呆然とみてしまいました。怖くて痛くて泣く子はいても、お医者さんに攻撃していくなんて。お医者さんも手馴れたもので、ささっとすませ、「はい、おしまいですよ。もう大丈夫」と娘をかわしました。検査結果が出ると、やはりインフルエンザA香港型でした。一体に何のために娘を息子から離して実家に預けていたのでしょう。息子ではなく保育園でもらってくるとは、私の思考範囲の狭さが証明されました。

 娘も晴れておうちに戻ってくることができました。お兄ちゃんと同じインフルエンザA香港型にかかったのですから、離しておく必要性がありません。救急でもらったタミフルを深夜に誇らしげに飲む娘。妹が戻ってきたことがうれしく、久しぶりの笑顔をみせる息子。「お兄ちゃん、まあちゃんね、おくすみ(お薬のことです)飲めるんだよ。だって、まあちゃん、お病気だから。お兄ちゃんも飲んでみたら。」と娘が言うと、息子は「いらない」と無愛想に断りました。でも、息子は妹のすることをじっとみていました。

 

 兄妹がそろって同じ病気になると、ふたりとも心強いようです。息子はインフルエンザの診断を受けてから六日目の朝を迎えました。娘は昨夜インフルエンザの診断を受け、タミフルを一回飲んだだけで、翌朝にはなにもなかったようにすっきりしておりました。お兄ちゃんはもう六日も苦しんでいるのに、妹は一晩で回復するなんて、一体この差は何でしょう。娘は熱も下がり、食欲も旺盛、朝からトランポリンで飛び跳ねてみたり、「昨夜の高熱はただの悪夢だったのかも」と思ってしまうくらいです。

ところが、これをきっかけに息子に大きな変化があらわれました。まず、娘が体温を測るのを楽しんでいると、あんなに体温測定を嫌がった息子が娘の横に座って順番を待っているのです。「うそ、まさか」と半信半疑で、「体温測る人―?」と聞いたら、息子が手をあげて「はーい」と答えました。そして、朝食と夕食のあとになると、娘が「ママ、おくすみ(お薬)ください」と喜んで薬を飲んでいるのを、息子は「なんでこんなにうれしそうに薬を飲むんだろう」という顔でじっとみていて、薬を毛嫌いする様子もなくなりました。朝晩になると体温を自分から測るようになり、食欲も出てきました。

二人とも熱が下がり、その後二日してからお医者さんに行きました。インフルエンザなどの感染症の病気にかかったら、お医者さんに完治したことを証明する通園許可書というものを書いてもらわないと保育園には戻れないのです。検査のためとはいえ鼻に棒を突っ込まれた嫌な思いのある診察室には息子は二度と入りたくありません。息子と娘のふたりの名前が呼ばれると、娘は「はい!」とはりきって入っていき、息子も妹につられて泣きそうな顔をしながらも入っていきました。息子は「まずはお前いけ」とばかりに妹を診察椅子に座らせると、娘の診察の様子をみていました。妹のすることに過大な信頼と評価をしている兄ちゃんは、妹の診察の後「いやだよお」といいながらも上手にお医者さんの診察を受けることができました。

インフルエンザを経験してから、息子はあんなに嫌がっていた歯医者さんにも通えるようになりました。歯医者さんという言葉だけで震え上がっていた息子が今では「歯医者さんに行って、歯磨きしてもらう人―?」「はーい」と言いながら、歯医者さんに喜んで通っています。毎朝起きると体温も測っています。集中力もつきました。一体、インフルエンザのウイルスにはなにが含まれているのでしょう。いい意味での副作用が息子には出たのでしょうか。今、インフルエンザB型が流行ってきていると聞きました。A香港型にかかった人もB型にかかる可能性はあるそうなので「インフルエンザはもう大丈夫」ではないようです。たまたま息子は怪我の功名といいますか、転んでもただでは起きないといいますが、インフルエンザにかかったことでほかの苦手なことまで克服できました。でも、だからといってインフルエンザB型にはかかりたくはありません。欲張るといいことありませんものね。